意見や感想(第3回)

いじめ

No.101 宮古和摺さん、ご意見ありがとうございました。
昨年、小学校6年生になる娘がいじめにあいました。
朝、ランドセルをしょったまま、ポロポロと涙を流して、「Hちゃんがいじめるから、もう学校に行きたくない。」と言い出しました。
娘はがまん強く、気のやさしい子です。大家族の中で育って、ちょっと、お人好しで、のんびりしすぎのところがあります。いままで、友達と大したトラブルをおかしたことがなく、どの先生からも、「明るく、温和な子」という評価をいただいていました。
私たち家族は驚き、姑はとにかく、学校だけは行かなければならないとを言い始めました。
私は、自分たちの部屋に娘を連れ戻し、とにかく、事情を聞き始めました。Hちゃんは、私もよく知っています。小さいころから、ご近所で、部活も一緒。学校の行き帰りも一緒。5年生からはクラスも一緒でした。成績もよく、行動派。でも、クラス委員とかをやるタイプではない。つまり、公正であろうとか、正義のために犠牲になろうとか、ということを考えているようには思えない(そんな子は今いるのでしょうか?)、自己主張の強いタイプです。私は、娘が、ちょっとしたわがままで言い出したのではないことを理解し、担任の先生に連絡しました。(娘は、先生に言わないでくれ、と懇願しましたが・・・)
それから、半年間、色々なことがあって、結局、娘は不登校にならないで、Hちゃんとは交際せず、明るく、幸福な学校生活を送っています。

私は、その間、登下校を自家用車で助け、娘の話を聞いてやり、どんなに家族が、娘のことを愛しているか、どんなに娘が大切な子なのかを言葉で言い続けました。主人は時間をやりくりし、家族のリクリエーションを増やし、娘の気もちが明るくなるように努力しました。姑、舅、大姑も理解してくれ、いじめや不登校の話題を避け、娘を可愛がってくれました。担任の先生は、私や娘の話を辛抱強く聞いてくれ、そのときそのときに、一番良い対処の方法をさぐってくれました。学校も、困っている私たちの状況をよく理解してくれたと思います。
というと、とても良い対処をし、不登校を避けられたようですが、実際には、私どもにとっては、毎夜毎夜、相手の子を憎み、相手の家族を批判し、もしかして、自分の子が不登校児になるかもしれないことを恐れ、降ってわいたような不幸を悲しみ、苦しんだドロドロとしたマイナスの半年間でした。

結論、子どもが成長していく段階で、自分のイメージ、従順で誰とでも仲良くする、という殻を自分で破りたくなった。それが、既成の人間関係にもひびを入れなければならないことになったのでしょう。怒っている人間というのは最低の一面をみせます。いじめたあの子も、そして母親の私も。

しかしながら、私どもや娘にも問題があったのでしょうが、やはり、いじめは8:2ぐらいでいじめる側に問題があると思います。娘は弱い立場から脱皮しようとしましたが、そんなことは一人の人間として当然のことです。いじめた側の親は、少々、子どもの気が強いだけで、大仰に非難された、ぐらいにしか考えないようです。多分、そういうものだ、と思います。

又、もし、不登校になってしまっていたら、おそらく、99:1ぐらいで娘に問題があることにされてしまった、と思います。苦々しく思うことも多かったのですが、正直、運が良かった、まあ、良しとしなければバチがあたると思っています。

No.102 てもさん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして(^-^)長野県の中学校で教員をしています、てもと申します。
自分の実践にちょっと息詰まりつつある中のネットお散歩で、こちらのサイトを拝見しました。

いじめ、許さない。
でも、どうやってそれを生徒の心に落としていけばいいんだろう?まだ駆け出しの教員の私には難しくて・・でも、こちらのサイトがなにかのヒントになることをくださったな、という気がします。
ブックマークに入れさせてくださいね。

私の勤務校も人権教育の指定校になっています。こちらのサイトを参考にさせてください。よろしくお願いします。それでは、また(^-^)

No.103 松田いつぎさん、ご意見ありがとうございました。
「いじめ」はいじめる側が100%悪い。「いじめをする子」はその親によって作られる。
お母さん方、ちょっと振り返ってみてください。お子さんの目の前でご主人をけなしたりしていませんか?お子さんの耳に入るところで近所の人のうわさ話しや、よそのお子さんの悪口など言っていませんか?
今の子どもたちの言葉の中には、子どもには知り得ないような情報があります。親が「あの家は~だから」なんて言っているに違いない、と思えてしかたがありません。親が言っているのだから、子どもは言って当たり前と思ってしまいます。
授業参観に行っても、廊下でおしゃべりしたり、いかにも誰かのうわさしてますよって、ひそひそばなししてるお母さんが、なんと多い事か。今年3月、長男が中学を卒業しましたが、その卒業式の最中もうるさいうるさい。卒業証書授与で名前が呼ばれるたびに、知っている限りの情報を5~6人でペチャクチャやっている。ある男の子のとき、コソコソッと言ったと思ったら、「くくくっ。」と笑い出した。思わず後ろからイスごとケリ倒してやろうかと考えた。もしかしたら関係ないことで笑ったのかもしれません。でももしその子の親が聞いていたら、どれだけ不愉快か。そういう姿勢が子どもにも影響するってことを考えてください。
人間は「言葉」というステキなアイテムを持っています。でも言葉は使い方を間違えると、殺人兵器にもなりうるんだということ、同じ1つの言葉でも受け止め方は千差万別なんだということを、子どもたちにわかってほしい。
そして、弱い子に強くなれというのはとても難しい事なんだ、強い子がちからを加減することのほうがずっと簡単だ、強い子が1歩譲ることは勇気のいること、それができる子がほんとうに強い子であり、イコール優しい子なんだということも・・・。
そして、親たちにはこう言いたいです。
他人の悪口を言って相手の位を下げたところで、自分の位は決して高くなっていない。高くなったように感じるのは、一時的にまわりが下がったから。自分を高めようと思うならば、自分を磨くしかないんだ・・・。
「いじめ」が年々ひどくなるのは、こうやって親から子へ、子から孫へとどんどん受け継がれてしまうからなのでしょうか?

スペースが足りませんでした。つけたしみたいですみません。
次回、私が知っているいじめ事件について書こうと思います。

No.104 松田いつぎさん、続いてのご意見ありがとうございました。
私が初めて「いじめ」といわれる事件に出会ったのは23年前、中学2年の時だった。正確に言えば、気づいたのがというべきか。1年の時、7クラスのうち私たちG組以外は1つの校舎に収容され、私たちだけが3年生の校舎で職員室のとなりという環境だった。そのせいか、クラスはよくまとまり、男女の別なく仲が良かった。あまりにも居心地が良く、「むこう」(1年生校舎)で何が起きているのか気づかなかったのだ。学年末になってSさんという1人の女の子が、体の具合を悪くして休んでいる、とだけ耳に入ったのだ。
新校舎が完成し、学年も変わって初めて「むこう」の住人だった子たちとも交流が始まった。だけどSさんの情報だけは、誰に聞いてもはっきりとしなかった。ある朝、Sさんが母親に付き添われて登校してきた。声をかけようと思って、私は言葉を飲みこんでしまった。そこにはあの彫りの深い、日本人離れした美しい彼女はいなかった。彼女に下された病名は「バセドー氏病」。誰が見てもわかる、眼球突出という症状があった。その日初めていじめがあったことを知った。
Sさんは休みがちではあったが、無事卒業式を迎えた。全てが終わり、校門を出たところでSさんと何人かの女子が手を握り合って、ただただ泣いている光景にぶつかった。私は「なにも会えなくなるわけじゃ・・・」と言いかけて、ハッとした。彼女たちも、Sさんをいじめたメンバーだったのかと。
未だに詳しい事はわからない。どうやら、「むこう」のほとんどの人が、いじめに加わり、また見てみぬフリをしていたらしく、誰一人として真実を語ってはくれないのだ。
Sさんはその後引っ越してしまい、今はどこでどうしているかもわからない。

No.105 しんちろさん、ご意見ありがとうございました。
「村八分」という言葉が昔から日本にはあるけど、そういう言葉が現在のいじめにもつながっているんじゃないかと思う。外見も生活もほとんどいっしょ、特に中学生は、制服の学校が多いから、みんな同じ〈平等)なかんじがして、その中で少しでも自分〈達)と違う行動なり性格の人がいるとそれが原因になってしまう、それで結局クラスという集合体に属しているだけで誰も味方をしてくれない、それこそ「村八分」の状態になってしまうと思う。

No.106 佐藤竜太さん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。
僕も小学校くらいの時、上級生から毎日のように殴る、蹴る、棒でしばかれる、正座させられるなどのいじめを受け、いじめられている人の気持ちがよくわかります。

いじめられる子って、内気で、積極的にコミュニケーション出来ない人が多くて、さみしがりやの子が多いですよね。だから根は優しい子が多い。学校にいないと友達がいないのでさみしい。でも学校に行ったらいじめられる。仲のよかった子も、連鎖のいじめを恐れて遠のいて行く。そして人が信じられなくなり、余計世の中がつまらなくなる。すごい悪循環がどんどんエスカレートして行くんですよね。
でも、いじめっ子から脱出するのは、案外難しい事ではありません。ほんのちょっと勇気がいるだけで、やってしまえば「なんだこんなもんか」って感じだと思います。
従順なのをやめればいいんです。
死ぬ勇気があるなら、殺される覚悟で抵抗すればいい。
でも、それがなかなか出来ないから悩むんでしょうね。
ジェットコースターに乗る前は、「乗れよ」って言われても、「恐い!いやだ!」と言ってたのに、いざ勇気を出して乗ってみると、「なんだ。楽勝じゃん。・・・もう1回行こうか」「えっ」っていうのと似てると思いますが。恐さの類が違うのかな?
いじめられている子をどんどん救ってあげてください。
応援させてください。よろしくお願いします。

No.107 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。
私にも忘れられないいじめの記憶があります。といっても私の場合、加害者側の記憶です。
ある日クラスの女の子が登校拒否になりました。その子の家から電話があり、私と友達は呼ばれました。校長室で校長、教頭、それから学年の担任全員がいるなか、いじめの事実を聞かれました。

私にはなんのことか分からなかったので、そのように話したけど、数日後、私を含め友達4人はその登校拒否をしている女の子の家に連れて行かれました。
そこには私達4人の母親、PTA会長、校長、教頭、学年の担任全員、それから女の子とその両親。さらにもうひとりクラスの女の子とその母親。
私達はそこで鑑別所へ送ると脅され、わけも分からないまま土下座させられました。その後もうひとりの女の子にも土下座させられました。その女の子というのは私達のクラスの全員から嫌われている子でした。
2人とも私達がいじめたということになってました。
ホントのところは私ともうひとりの私の友達は何もしていませんでした。いじめをしている2人とは小さい頃から仲が良く、それだけで呼ばれていました。仲がいいから一緒にやったんだろうと。
私が校長室へ呼ばれたのは、登校拒否をした女の子の父親が、いじめをした私の友達の名前と私の名前を聞き間違い(とても似ているので)それで呼ばれたんだそうです。(後日聞かされました)
誰も私の話を信じる人がいなく、訳も分からないまま土下座させられたことは、今でも忘れることはできません。
あの時の光景は15年たった今でも忘れられない。
いじめをしているならなぜ登校拒否をした女の子の家に毎日ノートなどを渡しに行けたのか。
どうして学校に来なくなったのが分からなくなったから、そしてその子を友達と思っていたから私と友達は心配だった。
でもあの時、なぜ両親が玄関先で私達を追い返したのか、後になって分かりました。
悔しくて悔しくて私達2人は泣きました。私達の親が本当のことをしったのは、それからしばらく経ってからのことです。誰も信じてくれなくても、せめて両親にだけは信じて欲しかったと、今でもそう思います。

No.108 松田 靖さん、ご意見ありがとうございました。
僕は、沖縄の琉球大学教育学部中教数学課4年生の松田靖です。
採用試験の1次試験に合格して2次むけて勉強中ですが、いじめと学級崩壊について自分の考えがなかったので読ませてもらいました。

大変参考になりました。
友達と「もし、自分のクラスでいじめが起きたらどうするか」と話し合った時自分は何も言えなくて、かなり,勉強しないとやばいと、思いました。
自分は、今の日本の平等社会が行けないと思います。異質排除とか、出る杭は打たれるが関係してると思います。

No.109 おおにしさん、ご意見ありがとうございました。
みなさんはイジメに関して、なくなれば良いとは言いますがなくなるようにはしませんね。

どうしてでしょうか?
僕はイジメは許せない為、どうしてもなくしてやろうと思っています。
絶対になくした方がみんな幸せになれると思いませんか?
とりあえず僕が思うイジメをなくす方法は悪口を聞いても話を合わせないという事です。
 話を合わせて「そうだよなーあいつむかつくよなー」なんて言ってるから、ちょっとしたキッカケでイジメになるんです。
 みんなが同様に悪口を聞いても合わせなければ必ずとは言えませんがイジメは確実に減ると思います。
あと社内イジメは必ずついて回るのが派閥ですね。欲のある人は取り巻きを作ろうとします。それが派閥になって派閥の長ともいうべき人が力の誇示という意味でイジメをします。
えらくもなんともないんですけどね。とりあえず回りの人は自分が関わりたくない為、話を合わせて一緒にイジメをします。なさけないですね。人間ってそれがまた悪化したら内部またはその相手(女の子と仮定する。)に対しセクハラとなっていく訳です。

僕はこれからマスコミと手を取り合ってイジメをなくしていこうと思います。

No.110 教育課程を履修している大学三年の女の子さん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。突然のメールで申し訳ありません。ホームページを拝見させて頂きました。私は教育課程を履修している大学三年の女の子です。

教育指導論という授業でレポートを課されました。いじめに対する指導と題した物を書こうと思っており、いろいろな本を見てみたのですが、どうもしっくり来るものがなく、煮詰まっていたところでこのホームページを見つけました。
いじめ問題の研究というページ、とても参考になりました。
自分が小学校の頃いじめにあっていたことを思い出しました。
幸い、私の場合は二ヶ月ぐらいの短期間で済みましたが実際はそれ以上に長く感じられ、とても苦しかった。
それまでの自由奔放、天真爛漫な性格は、そこで変わりました。
小学生の頃私は、(自分で言うのもおかしいのですが)はっきりいって優等生タイプで、運動も出来、先生たちにかわいがられ、学級委員もこなし、みんなを引っ張っていく、よく言ってリーダー的、悪く言えば目立ちたがりやの女の子でした。
六年生の誕生日の前日までは。
誕生日を境に、みんなの態度が変わったのです。今までどおりの態度で接するものならとっさに無視される、という状況に。なぜ、あの日を境に??最悪の誕生日。覚えています。目立たないようにしなければ、みんなに合わせなければ、と、いつも思うようになりました。私がおとなしくなってからは、またみんな普通どおりに接してくれるようになりました。
目立ちすぎ、やり過ぎだった私を、みんなが罰したのでしょうか?
その、いじめのせいか、中学・高校では、人の考えを深読みするようになり、必要以上に相手に気を使う、という病気が頻発。大学も後半に差し掛かった今でも、考えすぎる病気は治らない。
あのときのいじめは個性を摘み取るものであったような気がしてならないのです。当時、私と同じように目立っていた友達も、何ヶ月後かにいじめにあいました。私以上に気の強い女の子で、無視されても、何をされても、最初のうちはつっぱっていました。が、結局耐え切れずに、控えめな態度をとるようになりました。出る杭は打たれる、というか、なんというか・・。常にみんな同じレベルでいなくてはならない、そんなルールが暗黙のうちに守られていたのかもしれません。
何を言いたいのか、よくわからずに思いのままに書いてしまったことをお許しください。
 また、度々覗かせていただくと思います。

No.111 小学3年生男の子の母親さん、ご意見ありがとうございました。
わたしは、小学3年生 男の子の母親です。
インターネットをはじめてまだ日があさく、初めて個人のホームページを開いたのが、このページでした。私などが何を言っても心の穴は、埋まるはずもないのですが、ただただ、がんばれ!がんばれ!と私の心が叫びます。今のこの子供たちの社会が早く平和になることを、心から願います。

No.112 1年生のパパさん、ご意見ありがとうございました。
私は、小学校1年生の子供を持つ父親です。うちの子がときたま同級生の子たちににいたずらされたり、物を壊されたりしているようでとても心配しどのように子供に対応してよいか悩んでいます。

 実は、私も小・中・高といじめを受けていて大変つらい思いをしましたので子供の気持ちを思う胸がはり裂けそうです・・・・。
いじめは基本的になくならないと思います、なぜならいじめは人間の本能で動物が群をなしその群の中で順位を付けまた群以外の者や群になじまない者を徹底的排除する事と同じだからです。その群に同化していれば何も考えなくても安全な居場所もあるし地位も与えらます。それは残念ながら「猿山」と同じです。いじめる事がいいとか悪い事だとかといった事は関係ないのです。そのような事子供達の中だけでなく世の中に沢山あり、会社の派閥・政治家の派閥・官僚)・地域活動・学校の先生までも・・・日本の社会は群、群、群。群の問題点は安全であるために一人で判断し行動する事がないために善悪の判断がつかなくなることとです。そのいい例が戦争であったりバブル経済だり、某新興団体だったりします。
人はそんなに高等な生き物ではないのです、でも人は自分が高等でないことに気付く事の出来る生き物でもあります。人間が動物ではなく人であってほしいと思います。

No.113 木村さん、ご意見ありがとうございました。
私はあまり偉そうに言える立場では無いのですが、子供のいじめは社会的に取りただしていますが、現在日本社会の状況はどうなんだと思います。まず、子供の事より、自分達大人が、手本になっているのか?まずそこでしょう。だらしない、大人ばかりで自己主張もない会社の言いなりの大人ばかりで、リストラされ行く場所のない大人ばかりで、人のせいにして何もしょうとしない。そんな国になんでしっかりした子供を、作れる訳ないのじゃないのですか?教育者自体、公務員で安定しているから、なる先生ばかりでなんで教育者と呼べるのか

話は、それましたがこの競争社会いじめ無くなることは無いのではないですか。だから、いじめた子供を指導するより、いじめられている子供を、いかに早く見つけて守ることでしょう。その子供に、はっきりいじめを止めるとこは無理だと告知し、防御する知恵を教えてあげることでしょう
いじめる子供より、強くならなければ、絶対いじめ続けられます。特に今は、集団でいじめます。
どうすれば強くなれるか
まず、自分がどういう人間かみんなの前ではっきり告白します。泣いても構いません。
そのかわり、最後まで伝えさしてあげます。その勇気を指導者が進めてあげることです。

No.114 ゆうさん、ご意見ありがとうございました。
こんにちわ。わたしは、20歳の女です。
あまり頭が良くないので文章が読みにくいかもしれません・・・。

でもがんばって書きます。
少しでもいじめられてる人の力になれればと・・・。
わたしは、中学生の時いじめられていました。きっかけは、今でもわかりませんし、もしかしたらわたしも知らず知らずのうちに人にイヤなことをやってしまっていたのかもしれません・・・・。でも理由がどうであれ、わたしはとても傷つき、死ぬことをいつも考えていました。
初めはトイレに呼び出されました。「髪が茶色い。」とか、すごく意味不明な言いがかりをつけられ、「タイマンね。」と言われ(タイマンと言いながらほかに3人ぐらいいた)殴られて蹴られて。
学年で1番怖がられてる人から「タイマン」って言われてほんとにケンカできる人って何人いるのでしょう・・・。
それが、数回続きました。
お金や物を要求され、自分ではどうにもならないので万引きをして渡していました。悪いことと分かっていたけどどうにもならなかったのです。
1番精神的ダメージを受けたのは、小学生の時仲が良かった人に部室に呼び出された事です。
いきなり「ちょっとトイレに来い。」と言われ、行くと4人くらいいました。「なに?」と聞くと、「お前わたしに悪口書いた手紙送っただろ?」と言われました。わたしにはまったく身に覚えの無い事だったので、「何の事?わたし知らない。」って言ったら「お前の字に似てんだよ。」言われました。何回言っても信じてもらえず、「ノート取って来い」と言われ取りに行きました。ノートを見せると、「やっぱりお前の字にそっくりじゃねーか。」と言われました。「違う」と言っても、まったく信じてもらえません。
当時わたしは好きな芸能人がいて、その人の名前をノートにたまたま書いていました。するとその人たちはそれを見て、「こんなヤツがファンとか○○(私の好きな芸能人)がかわいそー。」「○○も落ちたよねー。」「ブスのくせに」などさんざん言れました。むしけらあつかいで、ボロクソ言われました。
わたしはそれまでけっして泣くことを我慢していましたが、さすがに涙があふれてしまいました。「泣いてるよー」とくすくす笑われました。
その後、「タイマンと1発殴られるのどっちがいい?」って聞かれタイマンにならないことは分かっていたので「殴られる・・・」と言いました。殴られ教室に戻ると友達がいていっしょに泣いてくれました。
当時イヤな事を忘れられるものがないと私はだめになっていたと思います。好きな芸能人のことを考えている一時だけ、いじめのことを忘れられました。
中2の途中にお金に困り果てとうとう親に全部話しました。親に言うのはかなり勇気のいることでした。
「恥ずかしい」とか、「心配させる」とか、「よけいいじめがはげしくなる」とか「言ったところでどうにかなるか?」などほんと考えました。でももう親に言うか、死ぬかしかないと思いました。
そして、すぐ親が学校に電話をして次の日両親が学校に行くことになり、教師とわたしをいじめた生徒と両親が話し合いをしました。
母が後で「いや先生がいた。」と言うのでどの先生か聞いてみると、その先生は生徒にすごく人気があって、教育熱心なかんじに見えていました。わたしも嫌いではありませんでした。
母が言うには、自分には関係ない。という言動だったとゆうのです。わからないものですね。この時からわたしは先生とゆうものを信用しなくなりました。それからいちおう呼び出しはなくなりました。
中3になってからクラスの数人からの言葉のいじめをうけました。「わたしの朝自習やってよ」など言われるのはほぼ毎日。朝自習の紙を破かれたり、なくなってしまったり。授業にあてられ答えられないでいると「はやく言えよ。」「イライラする。」など言われました。そのほかにも心がズタズタに引き裂かれるようなことを言われ続けました。
なにもかもがイヤになり死のうと思い、手紙など全部捨て手首切ろうとしたことも。手が震えてできなくて、自分はなぜこんなに弱いんだろうとまた泣きました。笑い声が聞こえると自分の悪口を思ってしまうようになり、いつもびくびくしていました。人がみんな敵に見えてくるのです。みんな見て見ぬふりです。それでも絶対泣き顔を見せたくなかったので泣きませんでした。傷ついていたけどいつも気にしてない素振りをして、無視していました。意地でも毎日学校に通っていました。今になってはそれは自分にとっていい事だったかは分かりませんが。
そうして地獄の中学校生活がおわりました。
今思うとあの時のわたしは普通の精神ではなかったと思います。中学生の時親と出かけたことや、友達と遊んだことが記憶にないんです。まったく覚えてなくて。いじめは思い出も記憶に無くなるくらいつらいものです。いつもおびえ、誰かに助けてほしいと心の中で願っていました。あまりに変になり手の甲にリストカットをしたこともありました。「わたしはこんなに傷ついてるんだよ。」ってゆうサインだったのかもしれません。
わたしは、人はなぜ生きるのか。といつも思っていました。わたしの未来はあるの?楽しいことはあるの?と不安でした。いつもいつも不安なのです。
わたしは知ってる人のいない高校に通いました。自分も変わろうと思い、社交的になろうと努力し、なめられぬよう強い自分でいました。外見もメガネからコンタクトしてやせて、外見も内面も変わろうがんばりました。結果、すごく楽しい高校生活を送ることができました。友達に「中学生の時いじめられてたの」って言っても信じませんでしたっ。中学生の時の友達と会ってもまったく気づかれません。
わたしはいじめられて、人の痛みなどを知りました。高校になってからは人のやさしさ、大切さを知りました。今でも時々人の事を深く考えすぎたり、物事を慎重に考えすぎたりしてしまいます。後遺症かな。
わたしは、来年からメイクの学校に通うつもりです。
人は、自分は、変われます!いいえ。変わります!!
どうなるかは自分しだいです。
いつまでもくよくよ悩んで生きるか、いじめをバネに精神的に強くなって楽しく生きるか。
ほんとう自分しだい!!!
辛いことばかりではぜったいありません!!
辛いことがあった分あとで楽しいことがまっています。
それを待ちましょう!!!
いつか本で見ました。人は幸せになるために生きるんだって。
わたしも新しい幸せに向かってがんばっていこうと思っています。
いじめる人は数人だけど、あなたを応援してくれている人や力になってくれる人はその倍・・・いや、それ以上います!!!
親に思いきって言ってみましょう!
どうなるか分からないけど今より絶対マシだと思います。
親はあなたが考えてる以上にあなたのこと大切に思っていると思います。
わたしがいじめにあって思ったのがやっぱり学校の対応が悪いという事。
逃げてばかりで現実を見ようとしてないんです。
いじめは本人も悪いけれど、学校や親も悪いですよね。
気づかないなんてそんなはずないです。
本当に気づかない人は教師に向いないと思います。
SOSぜったい出してるはずです。
それに気づいてやるのが教師のつとめではないでしょうか・・・。
先生方、生徒に目を向けてあげてください。
生徒と楽しくやるだけが教師じゃないでしょ?
友達同士みたいな先生が増えてるらしいですがほんとうにそれでいいのでしょうか。
きちっと教える事を教えているならいいのかもしれないけれど・・・。
それから親御さんも子供に少しでも気になることや、へんな傷などがあったら気にしてあげてください。
「いじめられてない」と言ってもそれを真にうけないでください!
やはり親には言いにくいものです・・・。
小中高はどうゆう人間ものの考え方になるかなど大切な時期だと思います。
もし、いじめられてることが分かっても冷静に対処して、「一人じゃないよ。」と言ってあげてほしいです。
いじめられてる時ってどうしてもひとりぼっちな気になってしまうんです。
いじめははやく気づいてあげることが必要だと思います。
いじめがエスカレートしてはたいへんですから。
でもむりやり聞くのは逆効果・・・。
いじめは本当にむずかしい問題だと思います・・・。
【しあわせ】とゆう本で、「しあわせって 自信をもつこと 自分を大切にすること そして自分とおなじくらいほかの人も 大切にできること」とありました。
それは、とても難しいことだけれどそうゆう人にわたしはなりたいです。
みんながこうゆう気持ちが少しでもあるといじめはなくなるんでしょうね。
がんばりましょうっ!
あくまでもわたしの意見ですが・・・。(弱気・・・)
長くなりましたが、読んでくれてありがとうございました。
いじめがなくなる日を心から願っています。

No.115 ともさん、ご意見ありがとうございました。
はじめてメールします。

突然ですが「いじめっ子」に対するペナルティがないことについてどう思いますか?
学校が大好きなのにいじめられて登校できない・・・
でもいじめる側は平然と通っている・・・

いくら先生がしかっても、説得を試みても、表面でしか反省せずまた隠れていじめるような子が、堂々と学校に通い、そしてまた他の子をいじめる。
そんなのおかしくないですか?
私は変だと思います。
一生懸命小さい身体でいじめと戦いながらも、恐くて傷ついて、いざ朝になってみると足がすくんで学校にいけない。
あるHPでいじめにあっているというお父さんが「相手の子に登校停止を!」と叫んでいるそうです(テレビで見ました)。
これは過激な意見かもしれませんが、でもそれに類したペナルティがあってもいいと思うのです。自分がどれだけ相手を傷つけたのか、注意したくらいで分かるでしょうか。
いじめる側が野放図になっていることも、いじめがなくならない原因のひとつだと思います。

No.116 c???uさん、ご意見ありがとうございました。
初めまして。

今日、初めてこのページを拝見させて頂きました。

今まで、いじめをテーマにしたHPなんて、見た事がありませんでした。

本人の希望により,内容を省略させていただきます。

教師だけが悪いなんて思いません。だって、まず最初に子供を教育するのは親ですから。
人を傷つけるというのが、どれだけの意味を持つのか、どれだけいけない事か、
あまりにも安易に考えているような気がします。親も子も。
そして、何よりも、命の大切さをもっともっと分かって欲しいです。
長々とすみませんでした。
このHPを見て、少しでもいじめをやめようと思ってくれる生徒が増える事を祈ります。
教師という仕事は、本当に大変ですが、こうしていじめについて、ちゃんと考えていてくれる
先生がいて、安心しました。(今まで少し、教師不信でした・・・。ごめんなさい。)
私も、いじめがなくなる事を願っています・・・。

No.117 ミルクさん、ご意見ありがとうございました。
20歳後半の主婦です。 私は小2から中3まで8年間いじめをうけました。

男の子、女の子、先生からもいじめられました。恐喝、 机を倒される、 椅子にがびょうをおかれる、足を引っ掛けられる、 体育の時間に蹴り上げられる、 いじめのメニューはすべて受けました。
両親にも相談したけど「死にたい」と、 いったけど「馬鹿なことをいうな!」としかられました。今でもその後遺症で人前に出ると足がすくむ思いです。
でも、 今まで生きてきて思うのは、 泣いてでも、 叫んでも、逃げ回ってでも、 かっこわるくても、 自分を助けてあげればよっかた。自分自身をもっていればよかった。
今は、 みじめだった、 悲しかった、 あのころの私は 「あのときの自分は誰よりも一番がんばってた」 と、 自分を認め、 誉めてあげています。
私は、  足がすくんでも、いじめられてよかったです。
キレイごとではありません。 今の仕事は、看護婦をしています。
人を癒すと言うことは、 心を傷めているひと以上に自分も深い傷をもっていることで傷みを分かち合うことができます。 私の今の生きがいは人の役に立つことです。 人のために生きるということが今の自分自身の居場所です。

No.118 みえこさん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。

インターネットを始めてから、まだ日が浅い高校2年生の、みえこといいます。
今度、高校の文化祭で、いじめをはじめ、その他さまざまな差別について、パネル展を開くことになりました。
いじめといえば、きっと一生忘れられない言葉が、耳に響きます。
それは、小学生の頃のこと。いじめられていた私は、担任の先生に相談しました。
先生からの「返事」は・・・
  「いじめられるあなたが悪いんです!
   悲劇のヒロインぶっとるんじゃないのか?」
ほんと、目の前が真っ暗になって、気を失いそうでした。もう二度と先生を信用するものか!
それから、中学校に入ってもいじめられる日々は続きました。が、先生に相談することはありませんでした。
まだまだ、私自身、気持ちの整理、考えをまとめるには時間がかかると思います。高校に入って、「人権を考える高校生友の会」などに積極的に参加し、友達と意見交換や、お互いの悩み事を相談できる仲間と知り合えました。
これから、私は私のおもいを大切にして、生きていこうと思います。
決して負けることなく・・・・

No.119 ひ・み・つさん、ご意見ありがとうございました。
僕は22歳の大学生です。僕も小学生の時いじめられてました。

何故か?僕の父は身体が弱く働けず家は貧乏でした。それについて当時の自分に何ができるでしょうか。なにもできません。そんなことでいじめられていることを家族に言えるでしょうか。父のことを考えるとそんなこと言えるわけありません。何せ働けずに苦しんでいるのは父だから・・・・。
みなさん考えてみて下さい。動物の世界は弱肉強食です。いじめも同じ感じだと思うんです。
いじめられないようにするにはどうするか?
そう簡単なことです。強い人になればいいんです。
こんな事をゆうと反感を買うと思いますが、自分を守るのは結局自分しかいないんです。
親に相談しようが、先生に相談しようが結局最後は自分なんです。
喧嘩が強くなれと言ってるんではないんです。自分に自信を持てとゆうことを言ってるんです。
なぜ、いじめられるのか?いじめられる側も冷静に考えなくてはいじめから解放されることはないだろう。
僕は現在いじめられることもなく友達と楽しく過ごしています。
周りの人の助けも大事かもしれませんができるだけ自分自身で解決することをおすすめします。

No.120 qtg@0b4qさん、ご意見ありがとうございました。
実際には、いじめ自体、いろんなケースがあるから、一概に誰かが悪いとはいえないと、思います。

僕の学校であったいじめは、ひとつめは、あまり理由のないただのいじめ。ふたつめは、明らかに、人間性の欠けた人を多数でせめていくうちに、理由も知らない先生が、偽善と教師のメンツのために、「大勢で、よってたかって人を攻めるのはいじめだ。」と言って、当時、小学生だったクラスの人間ほとんどを、洗脳してしまった。(こうゆうのは、生徒に対する教師のいじめだと思う。)みっつめは、学校の先生がいじめの中に加わるいじめです。これは、学校で起こるいじめの中では、たちが悪いけど、結構多かった。(通った学校では)これは、教師にあまり自覚がないので、今のところ一番危険だと思います。

No.121 鶴見 克幸さん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして・・・

初めてお邪魔致しました。
23歳の時に結婚して、現在では私も2児の父親として、これまで教育等も考えてきたつもりです。私共の子供は、学校は違いますが私立の今年小学校4年生と1年生です。
幸いな事に、両校とも一貫教育として高校・大学までありますが、世間で騒がれている様ないじめ問題は発生していない様子です。
しかし、近隣の公立の小中学校では、学級崩壊が珍しくない状況となっているそうです。
私立の全てではないにしろ、公立と私立を比べれば、いじめの発生状況は私立の方が少ないのではないかと思います。
それでは、私立と公立の違いはどこにあるのでしょう・・
こんな所から、いじめ問題を考える事は間違っているのでしょうか?
僕らの子供の頃にも、いじめはあったように思います。
ただ、どこか今と違った感覚だった事を覚えています。
クラスに必ずいた(?)容姿の悪い女の子や、小さくて弱ちい奴とか・・少しトロい太目の・・ちょっと偏見入っていますけど、そんな人いませんでしたか?
確かにみんなにいじめられてましたね。
本人にしてみればかなり辛かったのかも知れませんけど、当事者以外はそれほど深刻な問題としても受け取めていなかったような気がします。
今となっては分からない事ですけど・・・・
僕の仲人は、中学の時の恩師です。
やたらと殴られたのを覚えています。
集合写真の時に帽子忘れて蹴られたりとか・・(一生忘れない!)
でも、ちゃんと一人一人見ていてくれました。
ヤクザになった友人もいますが、未だに先生って仲良くって、先生の言う事聞かないヤツがいたら〆てやる!なんて・・(笑)
そんな恩師と呼べる先生も、少なくなった様な気がします。
私も今ではPTAの副会長やらいろんな事をやっていますが、尊敬出来そうな芯のある先生っていませんね。
寂しい気がします。
体罰なんて、変な言葉だと思います。
子供が悪い事をしたら怒るの当たり前だし、問題にする方がおかしいと思いますが、それを許してもらえる環境じゃないんですよね。
親も、過保護に育って来てるから、なんとなく子育てごっこの様な気がします。
古き良き時代なんて言いますけど、教育に関しても当てはまるかも知れないと考えています。
何度か真似事をした事もありますが、先生って本当に大変な仕事だと思います。
だからこそ、なりたくてなった先生が必要なのではないでしょうか?
家に限って言えば、親と子供が一緒に過ごす時間なんて1日に2~3時間あるかないかです。
6時半には学校に向かい、5時半に帰宅してから宿題やら習い事・・夕飯食べてお風呂に入って、家庭で何を教育出来るのでしょうか?
それでも、みんな頑張っていますけど、学校に頼るところが大きいのは否めません。
私事になってしまって申し訳ありません。
長くなってしまいましたので、そろそろ終わります。
これからも、頑張ってください。
応援しています。
それでは

No.122 鶴見 克幸さん、2回目のご意見ありがとうございました。
ついでと言っては申し訳ありませんが、昔にあった一例をご参考までにお話したいと思います。

私が小学生5年生の頃の話しですが、私の小学校では5・6年生はクラス替えがないんです。
しかも悪い事に、私のクラスに悪がき連中が集まってしまったんです。
その中でも要領のいい奴悪い奴がいて、同じような事をしていても怒られるのはいつもそいつでした・・・ あまりにも活発(?)な子が多いため、担任は5年生で辞めてしまい、6年生になると違う教師が他校から赴任して来ました。
ある日、その要領の悪い子が、先生からの命令でみんなから無視されるようになりました。
「しかと条例」なんて言っていたように記憶しています。
仲が良かった訳ではないのですが、とても可哀相に思いました。
みんなの手前、大ぴらに話しをする訳にもいきませんでしたが、子供心にもあまりにも辛く、階段ですれ違う時に話し掛けたんです。
一度話してしまえば、あとは二人だけの秘密の会話が続きます。
その事が切っ掛けになったかどうかは分かりませんでしたが、それ以来その子はみんなをいじめるのを止めました。
それから20年以上も経って、今でも親友として付き合っていますが、先日彼の母親が危篤でお見舞いに行った時、あの時はありがとうとお母さんから言われました。
彼も辛かったらしく、登校拒否寸前だったと言われました。
こっちは忘れていたのに、覚えていてくれたんだなと思うと同時に、いじめる側の親もやはり子供の事を気に掛けているのだという事を思い知らされました。
皆さんのこれまでの人生の中で、色々な付き合いや経験があったと思います。
それらの中に、もしかしたらいじめ問題の解決に関するヒントがあるんじゃないでしょうか?
私たちがいつの間にか無くしてしまった何かが、今の子供たちを追い込んでいるのでは?
私学と公立の違いや、時代の違い、親の質や教師の質、見えそうで見えない原因が分かれば少しだけ解決に近づけるような気がします。

No.123 りおさん、ご意見ありがとうございました。
私はいじめというものは経験がなく、これといったことや、その人の立場というものにはなれないかもしれないけど、私自身昔から 嫌いな人=合わない人 とは接しなかったし、何かいやみなことをいわれたら倍にしてかえしていました。

自分に自信をもつというか、やられたら不快に思えば徹底して理由を追及したくなるし納得いくまで結果を出すまで自分というものを出してきました。
その場、その場にあった行動や言動、そんな事が自分でコントロ-ル出来る人間になる事が人として最低限のことだと私は思って今現在までやってきました。
人に合ったら“おはよう!”“こんにちは!”“こんばんわ!”間違った事をしたら“ごめん・・・”嬉しかったら“うれしい-!”悲しかったり、辛かったら“かなしい・・・辛い・・・・悔しい・・・“
人には感情を沢山持ってるんだからそれをきちんと表現することで間違った表現じゃなく、自分をきちんと出せるそんな人間でいれたら自分を好きになれるよ。
私は中学の頃から今ではもういない昔でいうとヤンキ-でした。
スカ-トはずるずると長く、“道を掃除してんの!”なんて言われると“うるせ-んだよっ!”と反抗していたし、高校だっていくつもりなくその頃はちょうどバンドブ-ムだったからバンドやりたくてやるんだったらとにかく高校だけは行っといたほうがいいといわれ、仕方なくいったの。
もう毎日バンド、バンドで自分のやりたい事は今しか出来ないからやりたいと思った事は全てやってきた。
でも決して親には心配させるようなことはしなかった。
というより、これをしたらだめだとかという判断はきちんと自分で解っていたから。
もちろん。心配されなかったという事もないけど、社会の常識の中でという面で。
朝帰りはしょっちゅうだったけど、バンドの練習がオ-ルナイトだったから。
親にはきちんとここに朝までいるからという様に報告してたし。
友達と同じように話していたから。
彼氏や好きな人が出来た時もうれしいからうれしそうに話したら喜んで聞いてくれたし。
友達がはぶにされりゃ-徹底して追及してそいつを呼んで話しつけたし。
それに今の教師はだめ。
私らの頃はちゃんと向かってきたし、今ではすぐ体罰だとかいうけど、私らの頃はしないもって授業させられてたし、わるさすれば、ひっぱたかれたし。
でもそれが体罰だなんていってるからいじめもしたり、何も言えずにされっぱなしなんだよっ。
教師は古いけど私らのころは金八先生状態がたっくさんいた。
だからこそ、いじめなんてへっちゃら。
やられたらやりかえす。ただやり返す方法を間違えないこと。
いじめるほうが悪いだの、いじめられるほうが悪いだのそんなのどっちもどっち。
教師も昔の教師の姿をもう一度みなおすべきだねっ。
親もちゃ-んと子供を常識を考えれる子にそだてるべき。
自殺?じょうだんじゃね-よ。
死ぬ勇気があんならもっと違うことにその勇気を使え!
甘ったれてんじゃね-てな感じ。
がっこ-に行きたくないならそれもそれでしょうがない。
でも逃げる前にやることやってみ。
自分をもっとみて、自分のレベルを上げれるはずだよ。人間は。

No.124 22歳 大学生さん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。僕は22歳、大学4年生です。

僕は昔からかなりいじめられた経験があります。特に今まで習ったスポーツはほとんど“いじめ”が原因で挫折しました。今まで掲示板にいじめについて断片的にいろいろ書いたのですが、それを若干修正、まとめた形で自分の意見を述べたいと思います。
●誰に責任があるのか?
僕は、いじめは基本的に、すべていじめる側に非があると考えます。
(いじめられる側に責任が全くないと言いきれない場合は・・・
 ①いじめられる側が人間として悪いこと・許されないことをした場合
 ②いじめられる側が他人に迷惑をかけるようなことをした場合
                      に限られると思います)
●それはなぜか? なぜいじめが起きるのか?
なぜなら、いじめる側のいじめる理由の大多数が“おとなしくて、抵抗しなそう”などというような性格・体型・容姿に関すること、つまり、単に当人の個性だと思えばそれだけで済むようなことだからです。もし、“おとなしくて、抵抗しなそう”な人が嫌いだったら、無理に接する必要はないでしょう。しかし、だからといっていじめていいという根拠はどこにもありません。なぜなら、おとなしくて、抵抗しなさそうな性格であることは、直接他人に迷惑をかけたり、危害を及ぼすことはないからです。つまり、客観的に見ればどうでもいいことなんです。たまに「いじめられる側にも責任がある」みたいなことを言う人がいますが、大部分は、以上のようなことから、それは“責任転嫁”“言いがかり”としか受け取れません。もっと率直に言えば“自己正当化”“利己主義”とも思えます。
また、いじめる側に共通してることは“人の心の痛みがわからない”ということです。人の心の痛みがわからないのは、“他人の個性を認め、他人を理解し思いやる”という心を持っていないからだと思います。(これは、前に書いたこととつながりますよね)。簡単に言えば、“世の中にはいろいろな人がいていいんだ”ということを完全に理解してないんです。そんなことは当たり前のことだという人もいるでしょう。ただ、その当たり前のことを理解していないから、客観的にどうでもいいと思われることを口実にしていじめをしてしまうんです。
それに、“他人の個性を認め、他人を理解し思いやる”心を持っていれば、心の中では多少は不快に思ったとしてもそれほど口にはださなくなりますし、人が嫌がることはしなくなりますし、他人の悪口を聞いても受け流すことができます。場合によってはたしなめたり、いじめを注意することもできるのではないでしょうか。
●ではどうすればいいか?
自分達が親なり教師なり、人を指導する立場になったときに様々な手段で子供達・生徒達に前述のようなことをよく教えることが必要だと思います。時には厳しく叱ることができなければならないと思います。成長過程にあり、まだ完全に自我が確立していない段階では歪んだ心を持っていてもまだ良い方向に向く可能性はあります。成人になって人格が形成された段階ではもう遅い場合が多いのです。
ここに来る人達は少なからずいじめられた経験がある人だと思います。いじめをなくしたいと思ってる皆さん、本当にそう願っているのであれば、いじめがなくなればいいと思うだけにとどめずに、自分の経験を(特に指導者になったときに)十分に良い方向に生かしましょう。いじめは人間として悪いことなんだ、と子供達・生徒達に堂々と教えましょう。また、いじめられて困ってる子に手を差し伸べ、力になってあげましょう。そして、「あなたは悪くない」とはっきりと言いましょう。皆さんは人の心の痛みがわかる人だと思うのできっとできます。そういった一人一人の努力の積み重ねが、いじめをなくすことへとつながると思います。

No.125 3姉妹の母さん、ご意見ありがとうございました。
小学校の時にいじめにあってから、人から拒否されることが怖くて、人との付き合い方がうまくいかないようです。人との付き合いの中で1歩踏み込むことが、踏み出すことが出来ないようです。現在、高校生になっているのですが、まだ、この状態が続いています、自分なりに打破しようと願張っているのですが----。

親としてはただ見守っているだけ、たまに一寸した助言をするしかできないのが、本人が可哀想で、いても経ってもいられないでいます。
この先この子がどうなっていくのかと不安な毎日を過ごしています。一日もはやくいじめに会う前の、誰とでもすぐに仲良くなってしまう子に戻ってほしいと思っています。
いつか来る「ホッ」とする日を心まちにしています。

No.126 阿久根 晋さん、ご意見ありがとうございました。
僕たちは,学校で総合的な学習をしています。その中で人権(いじめ・差別)について考えています。大河内君が自殺したことは以前,聞いたけど,どういう理由で自殺したのかは,知りませんでした。遺書を見て,その理由がやっとわかりました。驚いたことは,多額の金を要求されていたことです。僕はいじめられたことはないけれど,大河内君が自殺しようとした気持ちがわかるような気がします。もし僕が,大河内君の立場だったら,おんなじことをしていたかもしれません。しかし,よい対処は,自殺する前に本当の勇気を出して,先生や警察そして親に訴えることだと思います。でも,いじめられていれば,そんなことをする勇気が出ないと思います。ホームページで探した資料の中で,1番ためになる資料だと思いました。これからの総合的な学習に活かし,みんなにいじめについて考えてもらい,少しでもいじめをなくしていきたいと思います。二度と社会にショックを与えるようないじめが起こらないことを願います。

No.127 キム  チャン  キさん、ご意見ありがとうございました。
始めまして 私は 韓国で日本学を 専攻する 大学生です。この home pageを 私の 授業(日本 文化概観)に 紹介しようとします。この 授業は 日本の home pageを 調べて 発ぴょうすることです。そして この siteを 発ぴょうしても いいか どうか このmailを 書きます。

(どうぞ使ってください。韓国の子供たちのことについても教えてください。作者より)
No.128 きたむさん、ご意見ありがとうございました。

はじめまして!!
このページはとてもためになるページだったと思います。
来年、教育実習をしに高校に行く予定なのですが、あらためて、学校の中のいじめを考えさせられました。
学習指導案を書いたりするのですが、このページを読んで先生の立場からのいじめと生徒の立場からのいじめの違いを理解したうえで指導案を書いていこうと思います。
もう一度、ゆっくりとこのページを読んで、もう一度いじめについて考えようと思います。

No.129 KENさん、ご意見ありがとうございました。
これまでいくつかのHPでいろいろな方々の意見を拝見したのですが、ちょっと疑問に思ったことがあるので、書いておきたいと思います。

僕はいじめられる側が何か悪いことをした場合でない限り、いじめられる側のことをあれこれ言うのはナンセンスだと思います。甘ったれてるんじゃないとか、もっと強くなれ、とか、立ち向かえとか…そういう高飛車に身勝手なことを言ってる人をたまに見かけますが、そういう風に一方的に言って突き放しても、結果的に自殺してしまったら何もならないのではないでしょうか?時と場合によっては、そういう言い方は逆効果になりかねないとも思います。人によっては残酷に聞こえますよ。第一、いじめの形態や被害者の心の状態だって人それぞれ、多種多様なの
ではないでしょうか。被害者に対して高飛車にあれこれ言う人は、このようなことを認識してるのでしょうか?そういう事を言う前に、自殺を考えざるを得ないような状態にまで追い詰めた加害者のことも念頭に置くべきではないでしょうか。それに、時としては自殺しないように守ることも必要ではないのでしょうか? 頭ごなしにあれこれ言うのは、あまり有効な手段だとは思えません。

No.130 Heizerさん、ご意見ありがとうございました。
拝啓、ホームページ上でアンケートに協力させて戴いたのをきっかけに掲示板に居座らせてもらっています

匿名希望の○○○○ こと Heizerです
最近のいじめっていうのは、日本の資本主義の中から生まれた「子供を取り巻く大きな問題」の「ひとつの結果に過ぎない」のではないでしょうか
と、いうのは、子供全体に行き渡った「自律心」とか「道徳心」、「思いやり」の欠如がたまたまクラスメイトに向かった場合にいじめという形を取るものと思っています
親に向かった場合、家庭内暴力
社会に向かった場合、夜遊びや暴走族
自分に向かった場合、薬物の乱用や援助交際という名目の売春
などなど、すべて根源はひとつだと思います。
彼等は、特にイジメを選んだ訳でなく、「なんとなく」という状態で動機もなく、行き当たりばったりで、何も考えずに行動している場合が大半に思えるからです。
他にも、売春や強盗に関しても、何か、買いたいものがあるから、とか、欲しいものがあるから、という手段としての犯罪ではなく、行き当たりばったりというパターンが殆どのようです
原因らしい事を列挙していけば、家庭の中での一家団欒の時間が無くなったとか、ストレスが増えたとかそれらしい事を並べたてていますが、本当の問題はそんなことでは無いと思います。
そもそも
日本人は’60年代の所得倍増計画によって一家団欒よりも生活水準の向上を選択した民族です。
両親がそれぞれ仕事を持てば子供の相手をしている時間が無くなるのは当然の帰結であります。
また、現代の日本の経済状況では、サラリーマンの家庭では共働きなしの生活は不可能になっている現実があります。
先人の過ちに対して文句をつけても解決にはなりませんが、問題に取り組む「大前提」としてこの事実を認識しなくては、枝葉末梢を追いかけるに過ぎない取り組み方にとどまってしまうのではないでしょうか
子供達の問題として、子供に対する教育を充実させるのと同時に、社会的な基盤を大人が作ってやる
という両面からの行動が無ければイタチごっこが続くだけだと思います。要するに問題の源は社会構造に端を発していると考える訳です
例えば、小さな交差点での信号無視
学校内で、「赤信号では止まりなさい」と教育しても、実際の街中では老若男女、堂々と信号無視している様を見せ付けられている子供達にしてみれば、ただの「お題目」に過ぎません。
たとえ、先生や親におこられても、腹の中では「みんなやっているのに何故自分だけが怒られる」と考えるでしょう。
実際、そのような小さな交差点の場合、馬鹿正直に「待っている」歩行者は一人もいません。
タバコの投げ捨て、電車の駆け込み乗車、大きい問題では、政治絡みの汚職まで、要は大人の無責任な行動を子供達が真似ているという認識を持たずに子供だけに注意を払っても変化は望めないという事です。
具体的にいえば、先般の青少年育成条例「淫行条例」の適用によってようやく援助交際のエスカレートに歯止めがかかった(無くなったわけではありませんが、増加にブレーキがかかった)のは、大人に対する具体的な罰則が出来,大人側の認識が変化したことではじめて起こった変化です
子供がイジメを考える場合にはイジメという事象を真剣に考えるのも重要な取り組みと思いますが、大人が考える場合にはそういった社会的な背景を十分に考える必要があると思います。
大人が子供と同じレベルでしか考えないのでは根本的な解決は望めません
さらに、大人でないと起こせないアクションを起こさなければ、問題の解決は出来ないのではないでしょうか
いじめる子供、いじめられる子供と、子供の世界の問題にして傍観者然としている一般の社会人(親でもなく、教師でもない人)が非常に多いのですが、問題の根が深いだけに、子供に押し付けてしまうのは間違いでしょう
とりあえず、一般社会人の一員として、私にできることを考えると、通常の生活の中で子供達に対して模範を示す事しか無いと思います
電車の社内に転がっている空き缶を黙って拾って、駅のゴミバコに捨てる
こんな小さい事でも、周囲で見ている人に対する結構影響力ありますよ
せっかく、このようなHPで、真剣に問題を憂慮する人が集まる場を提供して戴けたので、大人に対する提言ができたら、と思います。
引き続き、掲示板を徘徊させてもらいますので、今後とも宜しくお願いします

No.131 いじめられっこさん、ご意見ありがとうございました。
職場からなのでメールアドレスはかんべんしてください

私のいじめ暦は昭和46年4月から昭和55年頃までの約9年間です、私の心の中では、まだいじめられています、その頃の記憶が1日に何度もフラッシュバックしてきます、そのためか不眠になっています1日に3時間ぐらいの睡眠時間が25年ぐらい続いています、目を閉じるとあの頃のいじめられている自分や、現在も人から何か言われているような気がして眠れないのです。
対人恐怖症も有ります、人と話をするのが怖いです、何かを言われている気がします、いじめられっこは、いじめっこから見ると判るそうです、それが怖いです。
自殺願望も中学生の頃から、現在までずっとあります、いじめられている自分の姿がフラッシュバックすると違う世界へ行きたくなります、車を運転しているときなど、このまま行ってしまおうかどうか考えることも有ります。
いじめの構図ですが、1.小学校入学まもなく担任教師からいじめが始まる 2.担任教師が、同級生の中から数人選び、教師の指示のもと、いじめさせる 3.その同級生がなかまを増やし、いじめる 4.あとは、オートマチックで教師の指示など無くてもいじめる
こんな感じで、授業中、休み時間、を問わずいじめられつづけました。
授業中は、教師から言葉のいじめ、休み時間は同級生からの暴力や物隠しなど、書ききれないほどのいじめがありました。
その教師は、中年の女性教師でした、6歳の子供にとっては絶対の存在です、まして小学校入学当時の私には、何の抵抗も出来ません、親にも相談しましたが、教師は私のことをうそつきあつかいで小学1年生の私が悪いと親には説明します、そうすると今度はもっと酷いことをします、誰にももう言ってはいけないんだと思いました。
いじめの問題が取沙汰され始めるまでは、こんなことは自分だけのことだと思っていましたが、いじめられている人たちは、誰にも言えず泣き寝入りしているケースがおおいんだとわかりました。
いじめられるほうも悪いと言う方がいますが、小学1年生の子供をいじめる中年女性教師に対して、小学1年生は悪いと言えるのでしょうか、その教師に対し、毅然として立ち向かえる小学1年生がいるのでしょうか、そして教師がいじめろといえばいじめなくてはいけないと思う、同級生は初めはいやだったかも知れませんが、教師に言われればいやと言えなかったやはり立ち向かえなかったのかもしれません、ただ違ったのは、それが楽しみになっていった、そして9年間いじめぬいた、これはいじめられるほうが悪いのでしょうか、違うと思います、初めに決めた大きな存在が悪いと思うのです。
いじめっ子に立ち向かえなかった私の中には、おかしなバランスが有って、小学1年生の時のいじめる側の、人たちには絶対かなわないと思ってしまう、今でもそうで町で見かけると隠れます、私より体も小さい人でも、弱そうな人でも隠れます、よく兄弟喧嘩などでも有るように、子供の頃からの上下関係で強さが決まってしまうそんな感じで、いじめっ子にはかなわないからなすがままになっってしまいます、小学校1年生のときには同級生には、自分なりに立ち向かいました、ですが私一人対クラスの人たちですからあきらめるしか道は、無かったのです。
もう30年近く前からこんないじめが、あったのです、今のいじめは過激です、ですが昔私が受けたいじめも本質的なところでは同じ出だと思うのです、いじめられた側は、いつまでも心に傷を受けたまま大人になります。
そしてその教師ですが、私が小学1年生から4年生まで、私の担任でしたそしていじめつづけられました、その後何年か経って、ある市立小学校の教頭をしていました、あんな酷い教師が教頭を勤めているのを、見て酷い嫌悪感を抱いたことを覚えています。
長々書いてしまいましたがこんな経験を多感な時期にすると言うことは、人生のハンデになります、こんなことの無い世の中が早くくることを祈ります。

No.132 るらさん、ご意見ありがとうございました。
今まで書き込みしたことなどないので、かなりとまどいながらです。少しおそるおそるのかんもあるので、名前も書かないことを許して下さい。

小学生の娘を持つ母です。いじめられていると一昨日、娘から聞き、一晩話を聞いて上で昨日、学校へ行って来ました。今までの生徒への対応で一応予想していたとはいえ、やはり「そんなことはない、いじめているといっている子たちとは今日も仲良くおしゃべりしてた」と認めません
。あまりに予想していたとはいえ、あまりの先生の対応に打ちひしがれ、色々救いを求め、HPを見ているうちにこちらのページにたどり着き、ホッとし、少し元気が出てきた次第です。
このうれしい気持を是非、お伝えしたく、書き込みさせていただきました!!

No.133 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。
こんにちは。

私は、教員志望です。語学系大学出身のため、教育学に関しては無知同然です。
今回、このホームページを拝見いたしまして、とても勉強になりました。
私は、来年の大学院受験にむけて、今必死に教育学を勉強しております。どうせなら、と、勉強したことをHPにUPしています。
よろしければ、一度見にいらしていただけないでしょうか?ご意見を頂けると幸いです。

No.134 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。
僕が通っていた中学校は、いじめ、暴力が渦巻く学校でした。

そして、いじめに対する恐怖から逃れたい一心で勉強し、県の進学校へ進みました。
僕の進んだ県立高校は想像してた通りの、すばらしい高校でした。
まず、いじめが全くありませんでした。不良もいませんでした。校内暴力などもってのほかです。というより、これらはタブーでした。とても自由な校風で、茶パツ、制服に関してちょこっと言う以外は、先生もとやかく言いませんでした。生徒も立派な人ばかりで、お互い良い刺激を受けました。進路についても、先生は全く強制しませんでした。先生と生徒は友達みたいな感じでした。締めるところは締めてましたが。
開成高校の事も聞きましたが進学校にいじめが少ないのも、紛れのない事実だと思います。いじめと学力には全く相関はないでしょう。ただ、和田秀樹先生が言われるように、「受験勉強は子供を救う」のもうなずけます。
現に、受験勉強のないアメリカでは、少年・少女の凶悪犯罪が多発しています。
学歴社会は良くないと言われますが、いじめられっ子が勉強によっていじめから脱出し、努力次第では、社会的に高い位置に立って、いじめた者をみかえすことだってできます。たいがい、いじめれっ子は世渡りベタですから(世渡りベタだからいじめにあう)実力主義になった場合、一番つぶされやすいのはいじめられっ子です。
ただ、野口英世やエジソンなどの偉人は、ほとんどが「元・いじめられっ子」です。
「いじめっ子」が偉人になった試しは聞いたことがありません。
今いじめられている人は、一生懸命勉強してください。受験技術書が多くでていますが「受験に頭の良さは関係ない」というのが共通した意見です。勉強なら、努力次第で、東大等の難関大学にもはいれます。医者にも弁護士にもなれます。いくら努力次第でも、Jリーガーとかプロ野球選手、アムロみたいな一流歌手になるのは難しいでしょう。のど自慢見てるとつくづく思います。それこそ何十万人に一人の天才でしょう。とにかく頑張るしかないです。守りから反撃に転じるべきです。そしてその反撃開始の火ぶたを切るのは「今」です。

No.135 晴れさん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして、晴れです。3周年おめでとうございます。

「いじめ」について大変関心があります。関心暦18年という感じでしょうか・・・。
インターネットをはじめて2年目になりますが、ずっと検索してみたかった「いじめ」を今日初めて拝見させて頂いています。見る”勇気”がなかったのです。今でも入力していてドキドキしているぐらいです。検索結果を見て、こんなにも関連ページがあることに少し嬉しさを感じながら、1つ1つ見ています。
私は過去にいじめの経験があります。
この苦い経験は絶対に・・いえ一生心から消えないでしょう。そして一生分の涙を流したように思います。
トラウマとして自分の記憶が残っているんですよね。当時はこの様なネットというのは存在していませんでしたから私は誰にも相談することなく、毎日戦争場で戦っていた状態でした。そうです、「学校」に行くではなく、戦いに行くでした。
今生きていることを選択した当時の自分に感謝をしています。本当にいじめは死活問題なのです。あんなに小さい8歳~15歳の子供が死活問題を抱えて生きているなんて、とても悲しいことです。勉強が出来る有難さを感じる余裕などないのです。・・今今、今、死を考えている子供はいます。その気持ちを考えると涙が止まりません。
応援しています。そして、希望は持っています。

No.136 そらおさん、ご意見ありがとうございました。
いじめには、魔力があると思います。

いじめはだいたいが、1人対数人です。これがクラスの中ならどう考えても傍観者の方が多いです。けど、どうしてだろう彼らにたてつくことはできません。それは、ただ私に勇気がないからでしょうか。『いじめをなくす。』言うのは簡単です。でもいざいじめが起こるとやっぱり傍観者になってしまう自分がいます。私はもっと勇気を持てるようになりたい。

No.137 donさん、ご意見ありがとうございました。
どうも、はじめまして

書きやすそうなH.Pなので、僕もなんか書きたくなりました。
いじめではなかったけど、僕も、20年くらい前に登校拒否児でした。小学校3年の時です。
最初のきっかけは、体育倉庫で、みんなで上って遊んで上がろうとした時に「お前なんか、上げないよ」と言って、ひっぱたかれたのがきっかけです。小学校3年じゃそう、親にも叩かれたことなかったので、ショックでした。それから、3年、4年、5年と週に3、4日ぐらいしかいってませんでした。おかげで、親には怒られるは、ひっぱたかれるは、泣いてばかりでした。でも、いかないというか行けませんでした。その、叩いた人の顔が見たくなかったから。
学校の先生にもいろいろしてもらって迷惑かけたなと思います。クラスの人たちにも迎えにきてもらったりしてたけど、なんかだんだん、腫れ物に触るような雰囲気になってよけいに行きたくなくなりました。 学校を休んで部屋にいるといろいろ考えます。死んでしまおうか、と思った時もありました。子供というのは、やっぱり子供なので自分の命がどれくらい大事かなんて、わからないものです。他人の命もそうかもしれない。自分で飼ってた子犬が死んだり、身内が亡くなったりしないとどういうものか、わからないと思います。
小学校5年の時にクラスがかわって登校拒否を気にせずに遊んでくれる友人が何人かできて学校に少し行けるようになってきました。そのうちの2人は今でも付き合いがあるのでいい友人に巡り会えたのは良かったと思います。
6年のクラスの時はいろんなのが集まっていてクラスの中がもりあがっていて、僕なんか気にする人がいなくなった。そのころから登校拒否は治ってきました。
中学の時には完全に治ってました。中一の終り頃、小学校3年の時の先生が校門のところでみんなと話してて、僕も「先生」って言い寄って、心の中でだけど、ちゃんと学校来てるよって目でうったえた。わからなかっただろうけど。でも、先生も僕の名前を呼びながらうれしそうだった「ちゃんと来てるのね、」と言いたかったんだと思う。
中学に入ってからは、まじめにやってたけど、今度はまわりがすごくなってきていた。
ツッパリが流行ってきた頃です。はっきりいって、先生や親には、わからないことがたくさんおこってました。でも、いじめに関しては、いつまでも続ける人はいなかったからクラスでも問題になるのは、一時的なものでまだよかったと思います。
話が長くなりました。昔話を誰かに聞いてもらいたかかったのかなって気がします。今は元気で明るくやってます。
時代、時代で違うだろうけど、子供たちよ、頑張れ!今は我慢するしかなくても、生きてればいろんな人に会えると思うし、道が少しずつ開いていくと思う。
今、思うのは、小学校の時にあんまり学校行かなかったから、漢字が苦手だ

No.138 サトさん、ご意見ありがとうございました。
私は今までいじめについてちゃんと考えた事がありませんでした。なぜなら、私自身が死にたくなるようないじめを受けたことがないからです。

昨日初めて身近な友達のいじめを聞いて、ほんとに心臓が凍り付きそうなほどのショックを受けました。
その人は今がんばって生きています。でもまだ人工呼吸器をつけていて、やっと水が飲めるようになりました。
いじめを受けていたのは、夏休み同じバイトをしていた友達の彼氏です。(その彼氏も同じ所でバイトしていました)説明しにくいので、友達をMちゃん、その彼氏をY君とします。
昨日Mちゃんと遊んだときはまだその事を知らなくて、入院しているって言ったから、「どんな事故があったの?」って聞いても「D君(私とY君の共通の友達)から聞いて」って何で教えてくれないの?って思ったけど、今考えるとそんな辛い事Mちゃんから言えるわけないなと思いました。実際この話は、昨日遊んでMちゃんを送ったあと、帰りに一緒に居た女友達から聞きました。
夏休みの終わりころからMちゃんとY君は付き合いはじめて、Y君はときどき電話で呼び出され、Mちゃんとの約束をドタキャンする事が結構あって、Mちゃんは「もー、ドタキャンやだ」って悩んでいました。しかもY君はいつもお金がないって言っていました。
昨日帰りに聞いた話は、Y君は同じ中学だった人にパシリのようにされていて、しょっちゅう呼び出されてお金も渡していました。バイト代もその人に「今日給料入ったんだろ」って通帳からそのままおろして渡していたらしいです。その人の仲間からもいじめを受けていたらしいです。でもそのいじめをしていた人はY君とは関係ない事件で年少に入っていました。多分出てきたのだと思います。
先週Y君はその人を含め数人に○○県のある高校に呼び出されて行きました。
Y君はその学校の4階から落ちました。落とされたのか、自殺したのかはまだはっきり分かっていません。でもいじめをしていた人は自首したそうです。
Y君は危篤状態でした。この2日間で意識が戻らなかったら、もうダメでしょうとお医者さんに言われたそうです。
Y君の意識は戻りました。でも集中治療室です。しかも、顔から落ちたので、鼻とあごの骨が複雑骨折していて、治ったとしても、元の顔とは変わってしまっているかもしれないと言われました。
顔から落ちたとき腕で支えたのか、ひじの骨が突き出していたそうです。
これから6時間の手術も待っています。
事故に遭う数日前に、MちゃんにY君から電話がかかってきて、「死にたい死にたい」って言っていたけど、Mちゃんもそんなに深刻なことだと思ってなくて、ちゃんと聞いてあげればよかったって、すごく自分を責めています。
この話を聞いて、自分の無力さをすごく感じました。もし私がいじめられているという事をはやくに聞いていても、私には何も出来ないのです。
私だけではなく、先生にも、親にも、友達にも、誰にもどうにも出来ないような気がします。
たとえY君が学生だとしても、先生には言ってなかったと思う。先生にはなにも出来ない。
そのいじめが学校内の生徒からではなかったらどうするんですか?
たとえ学校内だとしても、先生はいじめていた生徒をしかり、その生徒は学校にはこなくなり、正直に話した生徒は学校外でもいじめられ、しかも更にエスカレートした、いじめになるとおもう。
いじめが終わるのは、いじめている人が気づくか、いじめられている方が死んだときではないかと思う。Y君が4階から落ちても生きていたのは奇跡に近いです。
いじめている人が気づくというのはなかなかないだろうし。
私達はY君をいじめていた人を憎いと思うけど、もしかしたらその人ももっと強い人からいじめを受けていたのかもしれない。
Y君はもういじめられることはないのでしょうか。
もしそれはないとしても、全国に似たようなことで「死にたい」と思っている人は何百人居るだろう・・・
TVでいじめを苦に自殺って見て『死ななくても良いじゃない。もったいない。』と思っていたけど、こんな身近に起こってほんとに真剣に考えると、死にたくなるという気持ちが分かる気がする。
私はY君のようないじめは耐えられない。きっと、私は誰にも相談せずにもっとはやくに自殺していたと思う。
私にみんなの『HELP信号』を感じとれ、助けれる力があれば良いのにとすごく思った。ほんとに無力だと思った。今でも私に出来ることは何もない。Mちゃんが辛いなら抱きしめてあげる事ぐらいしか出来ない。
でも、いじめについてここまで考えた事はなかったので、気づかせてもらったことをとても感謝しています。
あなたに何か出来ることはありますか?
私に何か出来ることはありましたか?
とても長くなってとても申し訳ないです。無理だとは思うけど、いじめがなくなる事を願ってます。

No.139 高橋伸征さん、ご意見ありがとうございました。
こんばんは。お初にお目にかかります。

あなたのホームページ(?)拝見させていただきました。
改めて『いじめ』について深く考えさせられました。と、同時に悔しくて悔しくて…。
何でこんな純粋な子供たちがいじめに遭わなければいけないんだ(?)というようなものばかりです。僕は『いじめ』に直接遭った事はないですが、クラスでちょっと浮いた存在でした。
もし今、高校生や中学生だったら、『いじめ』に遭ってたと思います。
ところで、うちの大学のサークルで、大学祭で、『いじめ』について取り上げる事になりました。
展示形式でやろうと思うのですが、やはり、写真などがあったほうがいいと思いますし、けれどそのような写真などはなかなかみつけられなかったのです。
BBSでの、生の声とかはあるのですが。
そこで相談なのですが、資料とかパネルとか、もしそういうのがあるのなら、どこから入手すればよいのでしょうか、もしくは借りられるものでもいいのですが、よく分からないので、もしご存知でしたら、紹介してもらえないでしょうか。
勝手なお願いかもしれませんが、どうかよろしくお願いします。

No.140 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。京都大学○○○○所属、法学部○回生の○○○と申します。

私のサークル内の人間関係パート活動で、今度いじめ問題について議論しようと思いまして、つきましては、このHPの「各種諸機関より」の部分を資料として引用させていただきたくお願い申し上げます。
実は私自身、いじめの当事者(被害者、加害者双方とも)になったことがあり、被害にあったことばかりでなく、加害者となったことも心に深い傷として残っています。当時は軽い気持ちでやってしまったのですが、今思うと非常に悪いことをしたと後悔の念がこみあげてきます。いじめという行為は被害者はもちろん、加害者をも傷つけてしまう行為であり、それをなくすためにはこのHPのような呼びかけは非常に大切なものであると思います。これからもがんばって、少しでも私のような後悔をする子供が少なくなるようにしてください。

よろしくお願いします。

No.141 Heizerさん、ご意見ありがとうございました。
拝啓、毎度BBSでお世話になっております

毎日、のように、少数の方とではありますが、議論にいそしみ、このような場所を提供して頂き、感謝しております。
久々にHPの方を振り返り、覗いていたところ,一点、重要な部分の認識がBBSメンバーと異なっている事に気が付いたので,メールします。
HP上の接するには のページ、No6、それぞれの立場を理解するという点のいじめられている者の項目に(意志が弱い)とありますが、BBSで一致を見た意見では、いじめられる者の特徴として、「納得できなければ他人の意見に同意しない」要するに、意志が強いという方向になって来ました.
逆に、むかつく等の感情をコントロールできない「いじめる者」見て見ぬふりをする傍観者(いじめが悪いとわかりつつ)の方が意志が弱いのではないでしょうか
BBSメンバーはそれぞれいじめられた過去を、今になって客観的に語っておりますので,その分析は的を得たものと思います。
この部分で間違った認識を持たれてしまうと、いじめられた者がいじめに回るような事がありえる部分なので、BBSのログと比較、考慮していただきたいと思います。
問題が問題なので、なかなか具体的な良策は出てきませんが、それなりにBBS内でも色々な進展があります。

No.142 sumireさん、ご意見ありがとうございました。
初めまして。sumireです。自分に強くなり,今自分が暮らしている環境に慣れていく事が,まず自分の意見主張でき,いじめをしている側に自分の思っている事を伝えられます。きっと,いじめにあっている子は,なかなか思ってる事を言えないんじゃないかな?人と人は,絶対に心がある限り通じ合えると思う。君はどう思う?自分の意見を伝えてみたら,きっと,いじめる側の考えも変わるだろうし,今の状態も変わっていって君の考え方も変わると思う。

だから,まずは勇気を出して思ってる事を伝えてみよう。恐い気持ちを,ふりはらって!!
私と君は今から友達だよ。いつも見守ってるよ!

No.143 さとみさん、ご意見ありがとうございました。
こんばんわ。初めまして!

今回は私の過去の経験談を聞いて頂こうと思い、メールをかきました。
私は今ね24才になりますが、小学校、中学校といじめにあってきました。
特にひどかったのが中学時代でした。
まず、一年生になったばかりの頃、小学校からちょくちょくとちょっかいをだされていた男子一人と同じクラスになってから地獄が始まりました。
何に関しても私がいる存在じたいが気に入らず、口を開けば「でぶ・気持ちが悪い・死ね」最初は口だけでしたが、日に日にエスカレートしてきて、木刀が折れる程なぐられたり、教科書は全て燃やされ、「私のどこがいけないの?悪い所があったら直すから」と言っても「死んでくれば許してやる」の一言でした。今でもあの頃の事が夢にでてきます。
でも、今思えば、つらい経験はしたけど人生において勉強になった気がします。つらい経験を送ったこそ、人の痛みが分かってくるのかなと・・。
過去はもう、消すことはできないので、今からを大切に幸せに生きること私一人では全然力がないけど、私と同じ経験者がこの世の中ではいっぱいいます。よく、「私の気持ちなんて誰も分かってくれない」と言う子はいますが、それは絶対ない事。見えないだけで応援している人はたくさんいると思います。
いじめにあっている人達。肩の力わ抜いてほしいです。これからたくさん幸せが待っている事に気づいてくたさい。ちょっと違う所に目をむければただの晴でも「なんて、いい日なたろう」と心まて晴れますよ!!頑張れ!!

No.144 堕天使さん、ご意見ありがとうございました。
1回、送ったつもりだったのですが、着いてないのか、検討されてるのか、ちょっと、差し替えますので、こちらで検討して下さい。尚、問題があると判断された文言は、勝手に削除して頂いて結構です。

BBSでも如実に現れ、私が憂き目に合ったように、人間というのは、元来、排他的な生き物です。それは、日本人論の中で主張される如く、日本人に限った事では決してないです。価値観の多様化と言ったところで、歴史を見れば、宗教戦争、民族紛争と、限りなく、人間の心は狭く、人間というのは、異なる価値を主張する他人を殺して来た生き物です。同種の中で、種の保存本能に逆らい、こんなバカげた事で、殺し合うような残酷な生き物は、他にいないのではないでしょうか?!
そして、最も、人間の残酷さが如何なく発揮される場面が、戦争の中でも、宗教戦争であります。共に、正当性という名の下、限りなく、残酷になる。人間というのは、自分を正当化せずには生きて行かれない生き物で、その正当化の為には、他人を死に至らしめても平気なのです。例えば、相手が間違っていると思う余り、その相手には、何を言っても、何をしてもいいと考える、判りきった権力的正義を振り回すしか能のない、低俗なイジメ論者も同じ事です。
イジメという人権侵害行為の中でも、イジメがエスカレートし、被害者の子供が死に至るような残酷なイジメ発生の裏には、ちょっと残酷な言い方かも知れませんが、必ず、加害者の側にも1点の正当性を認める要素が存在しているように思います。相手を殺してでも認められる正当性、と言えば、ヒューマニストの方は、びっくりされる事と思いますが、歴史を見て、宗教戦争という、正義と正義の対立の構図の中での人間の残虐性を思い浮かべて頂ければ、当たり前の事です。被害者の子供が死に至った後は、当然、声は小さいですが、こういう残酷な事件の背景には、大抵、「イジメられる方にも問題がある」という、残虐な加害者を擁護する声があります。そして、逆に言えば、被害者が死に至る前まで、そういう声があったからこそ、そのイジメを支持する暗黙の空気が流れていたからこそ、加害者の子供も、そこまで残酷になれたと考えられる訳です。イジメの発生原因を、性格異常の加害者だけに限定したり、善良で気が弱い被害者だけに限定するのは、間違っています。傍観者悪というのは、近代の個人責任の原則ににも、それに基づく近代法にも、ある意味で反する事ですが、そもそも、イジメという、近代が生んだヒューマニズムを否定する現象に於いては、もう、絶対的なものです。そのイジメを支持する傍観者がいない限り、イジメは発生しません。
イジメ撲滅へのアプローチの仕方としては、家庭や学校による道徳教育による、1人1人の子供の道徳レへルの向上と同時に、道徳まで行かない、動物としての種の保存本能にさえ抗う程の人間の残酷さへのダイレクトなアプローチも不可欠だと思います。むしろ、その方が重要な気がします。何故なら、人の嫌がる事をしない、などという、5歳の子供でも分かる低次元の道徳が守られないのがイジメだから。大人の社会でも、警察という正当な暴力装置なくして、人権は守れない。警察機能なしに、子供社会で、人権を守る事は不可能です。教師が聖職者であった昔の学校の最大の利点は、教師がツー・ウェイ、スリー・ウェイ方式で、子供社会に於いて、警察機能及び
司法機能を併せ持つ事ができた点にあります。具体的な対策は、未だ思案中ですが、制度改革しかないように思います。
イジメについて語る人がよく使い、このHPのアンケートでも使われてるし、イジメという人権侵害がなくなるかどうか?! というのは、そもそも問題提起の仕方が間違っていると思います。何で、なくなるか?なくならないか?と2つの結論だけに収束させる必要があるのか、私は、不思議です。我々は、過去の歴史を振り返っても、近代に至り、人権思想を生み出した事を1つの節目として、ずっと、より多くの人が幸せになる道を進んで来ています。イジメに関しても同じです。ヒューマニズムという幻想に基づかない、現実的な人間観を持ったとして、最後の1コまでなくなるか?!なんて考える必要のない事です。無差別殺人を行う戦争さえ、人類は地上から消滅されられないんだから、イジメが最後の1コまでなくならないのは当たり前の事です。
我々が目指すべき方策は、この歴史の流れに従い、より多くの人が幸せになる道であり、より多くのイジメをなくす道でいいのです。戦争だって反戦運動で、昔よりずっと減ったように、イジメだって、イジメ撲滅運動で減るのです。「根絶」運動は、より活発な「撲滅」運動という意識でいいと思います。

No.145 堕天使&Heizerさん、ご意見ありがとうございました。
文書作成のプロにも依頼し、内容が分かり易いように、再度、修正致しましたので、是非、ご掲載下さい。また、問題ある表現は、そちらで削除して頂いて結構です。

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【イジメ発生の原因~被害者・加害者の個別的要因だけを見ない】
イジメという人権侵害行為の中でも、イジメがエスカレートし、被害者の子供が死に至るような残酷なものが、BBSでもしばしば取り上げられています。
このような残酷なイジメの発生を、加害者が悪いと、一刀両断に切り捨てるのは簡単ですが、発生の裏には、必ず、加害者の側にも、独善的で手前勝手な正当性を主張可能な要素が存在しているように思います。
相手を殺してでも認められる程の正当性、と言えば、びっくりされる事と思いますが、歴史の中から、宗教戦争という、正義と正義が対立する構図の中で、人間がいかに残虐になれるか、という例が参考になります。
現実の子供社会に於ける例を挙げると、典型的なのが、被害者が、金持ちの子息であったり、優等生であったりして、人(加害者)を見下している妄想に取り付かれているケース。或いは、昔は人をイジメていた者への、復讐的ケースです。
ある研究者もレポートで指摘していましたが、被害者の子供が死に至った後にも、(当然、声は小さいですが、)事件の背景に「イジメられる方にも問題がある」という、他の子供を死に至らしめたような残虐イジメ加害者を擁護する声があります。
逆に言えば、被害者が死に至る直前まで、そういう声があったからこそ、そのイジメを支持する暗黙の空気が流れていたからこそ、加害者の子供も、そこまで残酷になれたと考えられる訳です。
イジメの発生原因を、残酷な性格異常の加害者だけに限定したり、協調性がなく他罰型の被害者だけに限定するのは、間違っています。傍観者悪というのは、近代の個人責任の原則にも、それに基づく近代法にも、反する事ですが、イジメという現象に於いては、絶対的なものです。
イジメを支持する傍観者がいない限り、イジメは発生しません。近代法とは逆行する意見ですが、イジメという現象に於いて、傍観者は、心理的には、全く、加害者と同罪なのです。
人間というのは、元来、排他的な生き物です。それは、日本人論の中で、よく「村八分」なんて主張される如く、日本人に限った事ではないです。
価値観の多様化と言ったところで、宗教戦争、民族紛争と、限りなく、人間の心は狭く、異なる価値を主張する他人を殺して来た事を歴史に刻んでいます。同種の中で、種の保存本能に逆らい、こんなバカげた事で、殺し合うような残酷な生き物は、他にいないのではないでしょうか?!
そして、最も、人間の残酷さが如何なく発揮される場面が、戦争の中でも、宗教戦争であります。共に、正当性という名の下、限りなく、残酷になる。人間というのは、自分を正当化せずには生きて行かれない生き物で、その正当化の為には、「相手が悪い」と考え、他人を死に至らしめてきた史実があります。
イジメの発生原因を、加害者、或いは、被害者個人の性格的問題だけに限定するのは、間違っているのではないでしょうか?!
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【僕滅へのアプローチの仕方~1人の子供の生死に関わるものに限定】
イジメ撲滅へのアプローチの仕方としては、家庭や学校による道徳教育による、1人1人の子供の道徳レへルの向上と同時に、道徳まで行かない、動物としての種の保存本能にさえ抗う程の人間の残酷さへのダイレクトなアプローチも不可欠だと思います。むしろ、その方が重要な気がします。
何故なら、人の嫌がる事をしない、などという、5歳の子供でも分かる低次元の道徳が守られないのがイジメだから。
大人の社会でも、警察という正当な暴力装置なくして、人権は守れない。暴力に対して非暴力主義だ対峙したガンジー思想は偉大ですが、現実は、どんな国家も採用していません。どんな国家でも、体制的暴力装置としての警察を装備しています。体制的暴力装置の弱体化は、即、不届きな反体制的暴力が繁茂する状況を作り出すからです。
警察機能なしに、子供社会で、人権を守る事は不可能です。
   暴力に対しては、法や公権力による救済を求め得る
といのは、国家権力の存立意義であり、当然の市民的対処なのに、子供に限って認めないのは、おかしな事です。
教師が聖職者であった昔の学校が持つ最大の利点は、教師がツー・ウェイ、スリー・ウェイ方式で、子供社会に於いて、警察機能及び司法機能を併せ持つ事ができた点にあります。
戦後民主教育の下、教師の聖職者神話を崩壊させた今、全世界のイジメ撲滅という理想論はさておき、最低限、子供が死に至るような暴力的な残虐なイジメを阻止するには、学校に断固たる警察機能を導入する為の、法制度も含めた学校制度改革しかないように思います。
実際、県教委は不快感を示したそうですが、学校を飛ばして、直接、警察に訴える事で、阻止できた残酷なイジメの例も報告されています。
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【イジメは無くなるか】
イジメについて語る人がよく使い、このHPのアンケートでも使われてる、イジメという人権侵害がなくなるかどうか?!というのは、問題設定の仕方に疑問を感じます。
なくなるか?なくならないか?と、2者択一してしまえば、無くならないという答えになるでしょう。
我々は、人権思想を生み出した近代の幕開けを、1つの節目として、ずっと、より多くの人が幸せになる道を進んで来ています。
イジメに関しても同じです。最後の1コまでなくなるか?! なんて考える必要のない事です。誰もが否定し、無差別殺人を行う戦争さえ、人類は地上から消滅されられないのだから。イジメが最後の1コまでなくならないのは当たり前の事です。
もし、この道徳国家 日本で可能になっても、世界レベルで見れば、無理な事でしょう。我々が目指すべき方策は、より多くの人が幸せになる道であり、より多くのイジメをなくす道でいいのです。
戦争だって反戦運動で、昔よりずっと減った。同様に、イジメだって、イジメ撲滅運動で減るのです。「根絶」運動は、より活発な「撲滅」運動という意識でいいと思います。

No.146 きりんさん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。私は愛媛県・・市のいじめを受けている娘を持つ母親です。

私は先生不信に陥っています。
それは、娘がいじめを受けているので連絡を取り合っていた時、どうして子供たちはいじめについて反省できないのか聞いたところ、「いじめたほうも、私も仲間割れの範囲だと思っている。」と言われたのです。
そう言いながら「これは、いじめです。」と言う言葉も出てきたりもしましたが,私には理解できない、と言うよりも腹立たしさを感じました。
その日の夜、もう一度先生に電話をすると、「昼間は大変失礼な事を言ってしまい申し訳ありませんでした。数人に聞き取り調査したところいじめがあったようです。」と言われました。
どうしてもっと早く聞き取り調査をしなかったのか。そして、仲間割れの範囲だと言ったのか。信じられません。
私はこの前の土曜日にいじめをした子に電話をしました。先生にそのことも報告したのですが「私は教師で今までいろんな生徒をみてきました。私に任せておいて下さいとお願いしたと思うのですが、私に任せて頂けませんか?」と、言われました。勿論、先生にお任せしなければならないのはわかっているつもりです。でも、先生は忘れたかも知れませんが、仲間割れだと言われた事や、登校拒否があまり続くと上に報告しないといけないから・・・。と言った事が忘れられないのです。どういったつもりで言ったのかはわかりませんが、深く傷つきましたし不信感も募りました。
私が言っている事や思っている事は間違っていますか?これが正しいとか、間違っているとかっていうのもおかしいかも知れませんが、ご意見を聞かせて頂ければと思います。

No.147 山野由利さん、ご意見ありがとうございました。
私は今年二十歳になったOLです。今彼氏が長崎のほうで寮のある大学にいるのですが、どうもその寮内でいじめにあっているみたいなのです。

彼はもともと京都の人で大学の人達から見ればちょっと浮いた存在みたいなところがあるそうです。そのせいかわかりませんが、すれ違い様に小声で耳元に”いつか死ぬぞ”みたいなことをささやいてくるそうです。それだけじゃなく他にもそんなにたいしたことではないのですが、細かなことをいろいろとしてくるそうです。そんな状態が1年近く続きおかげで彼は精神的に疲れてきているみたいなんです。夜あまり寝つけなかったり、学校に出るのが億劫になったり・・このままでは彼がうつ病になってしまうのではと心配です。
学校の先生にも話してみたそうなんですけど、あまり深刻にはとってくれず「子どもっぽいことするなぁ。」とか「だからといって彼らを退学させるわけにはいかんからなぁ」と返されたと言っていました。
私は京都、彼は長崎で相談に乗るくらいしか出来ず他に何か出来ることはないかと考えているのですが、良い方法が浮かびません。一体どうすれば彼の精神的な支えになることが出来るのでしょうか・・どうかどなたかどんな方法でもかまわないので教えてください。お願いします。

No.148 学生さん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。私は20歳の大学生です。

現在いじめや幼児虐待、それに伴うトラウマについて研究したいと思っているので、このページにアクセスしてみました。
本当に様々な意見があって、考えさせられました。私自身、保育園、小学校、中学校でいじめられた経験があります。また、いじめたこともあります。保育園では虐待を受けたりもしました。それは、今の私に大きく影響していると思います。さらに、中学時代の男友達6人が、私の友達を集団レイプしたことなども原因だと思います。今でも私は、人を心から信用することができません。だから、男の人と付き合うこともできないのです。男友達はたくさんいますが、それ以上の関係は耐えられないです。そんなこともあって、トラウマの克服などを研究したいと思ったのです。
いじめを受けると、自分に自信がなくなり、必要以上に人の目を気にするようになると思います。それも人それぞれかもしれませんが・・・。
結局、いじめられる辛さはいじめられた人にしか分からないのかもしれません。差別の辛さが差別を受けた人にしか分からないのと同じように・・・。だから難しい問題なのでしょうね。これから、様々な視点で研究を進めていきたいと思います。また、このページにおじゃまするかもしれません。それでは失礼します。

No.149 かつさん、ご意見ありがとうございました。
このたび自分は卒論のテーマを「いじめ」にして書きました。

その際このページを多く参考にさせていただきました。無事、単位もらえそうです。ありがとうございます。

No.150 みみさん、ご意見ありがとうございました。
私は、いじめにもあい又、いじめたこともあります。

中学の1年の頃女の先輩の好きな人が私を好きだった事からいじめに会う事に・・・。
そんなささいなことでいじめになるのです。
やっぱり強い物には逆らえない人たちは先輩にあいつとは口聞くな!と言われほとんど学年中が私を無視しつずけた。上靴は捨てられるし、自転車はぼろぼろにされるし、悪戯電話にウソの妊娠さわぎ!1年ほど続きました。
涙の毎日でしたが親には言えず我慢して学校に行ってました。時業中も涙が止まらず机にふせて泣いてても先生は何もいいませんでした。そんな時昔で言う不良の男の先輩がそのもととなった女の先輩に一言いってくれたことがきっかけでいじめはおさまりましたがそっちの仲間との、つきあいが始まりました。
今までのたまったもの、それが親への反抗に変わってきて制服も変え(当時は長いスカート)外見から変えていきました。すると、今まで私をいじめてた子達はころっと態度を変え復しゅうのように私はいじめ返しました。不思議な事に楽しくなってきました。
何も悪くもない子でも何か因縁をつけては呼び出し殴るけるそんな事を楽しんでたんです。
同じように先生にも呼び出され(もちろん親にも)頭にはたんこぶ5個、口からは血が出るほど殴られた事もあります。学校に行かなければ探しに来るし(ほとんど学校行ってません)そのときはほっといてよ!と、思いましたが3年の時の熱心な先生や親がいたからこそ今の私がいると思います。そしていじめられてたとき頑張って学校に行ってた事もよかったかな。体罰と騒ぐ世の中ですがそんぐらいで騒ぐ親の気が知れません。その子を思う本気!の気持ちでどんどんやってと思います。愛のムチというやつですか。いじめはきっとなくならないと思う!先生も気がつかないと思う。生徒全体がぐるだと思う。みてみぬふり。私のように見てすぐわかる悪い子はわかりやすいけど普通のこがいじめやってるときっと分からないだろうな・・・。うちの子の学校も子供がだれだれがどうした~と
先生に言っても結局「人の悪い所ばかりみないでいい所みなさい!」と(それもわかる)流されてしまう。でも、やられたこの気持ちはどうだろう?そんな簡単な言葉でかたずけられないんじゃないだろうか?ホントにこの問題は難しいですね!

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