No.128 きたむさん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして!!
このページはとてもためになるページだったと思います。
来年、教育実習をしに高校に行く予定なのですが、あらためて、学校の中のいじめを考えさせられました。
学習指導案を書いたりするのですが、このページを読んで先生の立場からのいじめと生徒の立場からのいじめの違いを理解したうえで指導案を書いていこうと思います。
もう一度、ゆっくりとこのページを読んで、もう一度いじめについて考えようと思います。
No.129 KENさん、ご意見ありがとうございました。
これまでいくつかのHPでいろいろな方々の意見を拝見したのですが、ちょっと疑問に思ったことがあるので、書いておきたいと思います。
僕はいじめられる側が何か悪いことをした場合でない限り、いじめられる側のことをあれこれ言うのはナンセンスだと思います。甘ったれてるんじゃないとか、もっと強くなれ、とか、立ち向かえとか…そういう高飛車に身勝手なことを言ってる人をたまに見かけますが、そういう風に一方的に言って突き放しても、結果的に自殺してしまったら何もならないのではないでしょうか?時と場合によっては、そういう言い方は逆効果になりかねないとも思います。人によっては残酷に聞こえますよ。第一、いじめの形態や被害者の心の状態だって人それぞれ、多種多様なの
ではないでしょうか。被害者に対して高飛車にあれこれ言う人は、このようなことを認識してるのでしょうか?そういう事を言う前に、自殺を考えざるを得ないような状態にまで追い詰めた加害者のことも念頭に置くべきではないでしょうか。それに、時としては自殺しないように守ることも必要ではないのでしょうか? 頭ごなしにあれこれ言うのは、あまり有効な手段だとは思えません。
No.130 Heizerさん、ご意見ありがとうございました。
拝啓、ホームページ上でアンケートに協力させて戴いたのをきっかけに掲示板に居座らせてもらっています
匿名希望の○○○○ こと Heizerです
最近のいじめっていうのは、日本の資本主義の中から生まれた「子供を取り巻く大きな問題」の「ひとつの結果に過ぎない」のではないでしょうか
と、いうのは、子供全体に行き渡った「自律心」とか「道徳心」、「思いやり」の欠如がたまたまクラスメイトに向かった場合にいじめという形を取るものと思っています
親に向かった場合、家庭内暴力
社会に向かった場合、夜遊びや暴走族
自分に向かった場合、薬物の乱用や援助交際という名目の売春
などなど、すべて根源はひとつだと思います。
彼等は、特にイジメを選んだ訳でなく、「なんとなく」という状態で動機もなく、行き当たりばったりで、何も考えずに行動している場合が大半に思えるからです。
他にも、売春や強盗に関しても、何か、買いたいものがあるから、とか、欲しいものがあるから、という手段としての犯罪ではなく、行き当たりばったりというパターンが殆どのようです
原因らしい事を列挙していけば、家庭の中での一家団欒の時間が無くなったとか、ストレスが増えたとかそれらしい事を並べたてていますが、本当の問題はそんなことでは無いと思います。
そもそも
日本人は’60年代の所得倍増計画によって一家団欒よりも生活水準の向上を選択した民族です。
両親がそれぞれ仕事を持てば子供の相手をしている時間が無くなるのは当然の帰結であります。
また、現代の日本の経済状況では、サラリーマンの家庭では共働きなしの生活は不可能になっている現実があります。
先人の過ちに対して文句をつけても解決にはなりませんが、問題に取り組む「大前提」としてこの事実を認識しなくては、枝葉末梢を追いかけるに過ぎない取り組み方にとどまってしまうのではないでしょうか
子供達の問題として、子供に対する教育を充実させるのと同時に、社会的な基盤を大人が作ってやる
という両面からの行動が無ければイタチごっこが続くだけだと思います。要するに問題の源は社会構造に端を発していると考える訳です
例えば、小さな交差点での信号無視
学校内で、「赤信号では止まりなさい」と教育しても、実際の街中では老若男女、堂々と信号無視している様を見せ付けられている子供達にしてみれば、ただの「お題目」に過ぎません。
たとえ、先生や親におこられても、腹の中では「みんなやっているのに何故自分だけが怒られる」と考えるでしょう。
実際、そのような小さな交差点の場合、馬鹿正直に「待っている」歩行者は一人もいません。
タバコの投げ捨て、電車の駆け込み乗車、大きい問題では、政治絡みの汚職まで、要は大人の無責任な行動を子供達が真似ているという認識を持たずに子供だけに注意を払っても変化は望めないという事です。
具体的にいえば、先般の青少年育成条例「淫行条例」の適用によってようやく援助交際のエスカレートに歯止めがかかった(無くなったわけではありませんが、増加にブレーキがかかった)のは、大人に対する具体的な罰則が出来,大人側の認識が変化したことではじめて起こった変化です
子供がイジメを考える場合にはイジメという事象を真剣に考えるのも重要な取り組みと思いますが、大人が考える場合にはそういった社会的な背景を十分に考える必要があると思います。
大人が子供と同じレベルでしか考えないのでは根本的な解決は望めません
さらに、大人でないと起こせないアクションを起こさなければ、問題の解決は出来ないのではないでしょうか
いじめる子供、いじめられる子供と、子供の世界の問題にして傍観者然としている一般の社会人(親でもなく、教師でもない人)が非常に多いのですが、問題の根が深いだけに、子供に押し付けてしまうのは間違いでしょう
とりあえず、一般社会人の一員として、私にできることを考えると、通常の生活の中で子供達に対して模範を示す事しか無いと思います
電車の社内に転がっている空き缶を黙って拾って、駅のゴミバコに捨てる
こんな小さい事でも、周囲で見ている人に対する結構影響力ありますよ
せっかく、このようなHPで、真剣に問題を憂慮する人が集まる場を提供して戴けたので、大人に対する提言ができたら、と思います。
引き続き、掲示板を徘徊させてもらいますので、今後とも宜しくお願いします
No.131 いじめられっこさん、ご意見ありがとうございました。
職場からなのでメールアドレスはかんべんしてください
私のいじめ暦は昭和46年4月から昭和55年頃までの約9年間です、私の心の中では、まだいじめられています、その頃の記憶が1日に何度もフラッシュバックしてきます、そのためか不眠になっています1日に3時間ぐらいの睡眠時間が25年ぐらい続いています、目を閉じるとあの頃のいじめられている自分や、現在も人から何か言われているような気がして眠れないのです。
対人恐怖症も有ります、人と話をするのが怖いです、何かを言われている気がします、いじめられっこは、いじめっこから見ると判るそうです、それが怖いです。
自殺願望も中学生の頃から、現在までずっとあります、いじめられている自分の姿がフラッシュバックすると違う世界へ行きたくなります、車を運転しているときなど、このまま行ってしまおうかどうか考えることも有ります。
いじめの構図ですが、1.小学校入学まもなく担任教師からいじめが始まる 2.担任教師が、同級生の中から数人選び、教師の指示のもと、いじめさせる 3.その同級生がなかまを増やし、いじめる 4.あとは、オートマチックで教師の指示など無くてもいじめる
こんな感じで、授業中、休み時間、を問わずいじめられつづけました。
授業中は、教師から言葉のいじめ、休み時間は同級生からの暴力や物隠しなど、書ききれないほどのいじめがありました。
その教師は、中年の女性教師でした、6歳の子供にとっては絶対の存在です、まして小学校入学当時の私には、何の抵抗も出来ません、親にも相談しましたが、教師は私のことをうそつきあつかいで小学1年生の私が悪いと親には説明します、そうすると今度はもっと酷いことをします、誰にももう言ってはいけないんだと思いました。
いじめの問題が取沙汰され始めるまでは、こんなことは自分だけのことだと思っていましたが、いじめられている人たちは、誰にも言えず泣き寝入りしているケースがおおいんだとわかりました。
いじめられるほうも悪いと言う方がいますが、小学1年生の子供をいじめる中年女性教師に対して、小学1年生は悪いと言えるのでしょうか、その教師に対し、毅然として立ち向かえる小学1年生がいるのでしょうか、そして教師がいじめろといえばいじめなくてはいけないと思う、同級生は初めはいやだったかも知れませんが、教師に言われればいやと言えなかったやはり立ち向かえなかったのかもしれません、ただ違ったのは、それが楽しみになっていった、そして9年間いじめぬいた、これはいじめられるほうが悪いのでしょうか、違うと思います、初めに決めた大きな存在が悪いと思うのです。
いじめっ子に立ち向かえなかった私の中には、おかしなバランスが有って、小学1年生の時のいじめる側の、人たちには絶対かなわないと思ってしまう、今でもそうで町で見かけると隠れます、私より体も小さい人でも、弱そうな人でも隠れます、よく兄弟喧嘩などでも有るように、子供の頃からの上下関係で強さが決まってしまうそんな感じで、いじめっ子にはかなわないからなすがままになっってしまいます、小学校1年生のときには同級生には、自分なりに立ち向かいました、ですが私一人対クラスの人たちですからあきらめるしか道は、無かったのです。
もう30年近く前からこんないじめが、あったのです、今のいじめは過激です、ですが昔私が受けたいじめも本質的なところでは同じ出だと思うのです、いじめられた側は、いつまでも心に傷を受けたまま大人になります。
そしてその教師ですが、私が小学1年生から4年生まで、私の担任でしたそしていじめつづけられました、その後何年か経って、ある市立小学校の教頭をしていました、あんな酷い教師が教頭を勤めているのを、見て酷い嫌悪感を抱いたことを覚えています。
長々書いてしまいましたがこんな経験を多感な時期にすると言うことは、人生のハンデになります、こんなことの無い世の中が早くくることを祈ります。
No.132 るらさん、ご意見ありがとうございました。
今まで書き込みしたことなどないので、かなりとまどいながらです。少しおそるおそるのかんもあるので、名前も書かないことを許して下さい。
小学生の娘を持つ母です。いじめられていると一昨日、娘から聞き、一晩話を聞いて上で昨日、学校へ行って来ました。今までの生徒への対応で一応予想していたとはいえ、やはり「そんなことはない、いじめているといっている子たちとは今日も仲良くおしゃべりしてた」と認めません
。あまりに予想していたとはいえ、あまりの先生の対応に打ちひしがれ、色々救いを求め、HPを見ているうちにこちらのページにたどり着き、ホッとし、少し元気が出てきた次第です。
このうれしい気持を是非、お伝えしたく、書き込みさせていただきました!!
No.133 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。
こんにちは。
私は、教員志望です。語学系大学出身のため、教育学に関しては無知同然です。
今回、このホームページを拝見いたしまして、とても勉強になりました。
私は、来年の大学院受験にむけて、今必死に教育学を勉強しております。どうせなら、と、勉強したことをHPにUPしています。
よろしければ、一度見にいらしていただけないでしょうか?ご意見を頂けると幸いです。
No.134 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。
僕が通っていた中学校は、いじめ、暴力が渦巻く学校でした。
そして、いじめに対する恐怖から逃れたい一心で勉強し、県の進学校へ進みました。
僕の進んだ県立高校は想像してた通りの、すばらしい高校でした。
まず、いじめが全くありませんでした。不良もいませんでした。校内暴力などもってのほかです。というより、これらはタブーでした。とても自由な校風で、茶パツ、制服に関してちょこっと言う以外は、先生もとやかく言いませんでした。生徒も立派な人ばかりで、お互い良い刺激を受けました。進路についても、先生は全く強制しませんでした。先生と生徒は友達みたいな感じでした。締めるところは締めてましたが。
開成高校の事も聞きましたが進学校にいじめが少ないのも、紛れのない事実だと思います。いじめと学力には全く相関はないでしょう。ただ、和田秀樹先生が言われるように、「受験勉強は子供を救う」のもうなずけます。
現に、受験勉強のないアメリカでは、少年・少女の凶悪犯罪が多発しています。
学歴社会は良くないと言われますが、いじめられっ子が勉強によっていじめから脱出し、努力次第では、社会的に高い位置に立って、いじめた者をみかえすことだってできます。たいがい、いじめれっ子は世渡りベタですから(世渡りベタだからいじめにあう)実力主義になった場合、一番つぶされやすいのはいじめられっ子です。
ただ、野口英世やエジソンなどの偉人は、ほとんどが「元・いじめられっ子」です。
「いじめっ子」が偉人になった試しは聞いたことがありません。
今いじめられている人は、一生懸命勉強してください。受験技術書が多くでていますが「受験に頭の良さは関係ない」というのが共通した意見です。勉強なら、努力次第で、東大等の難関大学にもはいれます。医者にも弁護士にもなれます。いくら努力次第でも、Jリーガーとかプロ野球選手、アムロみたいな一流歌手になるのは難しいでしょう。のど自慢見てるとつくづく思います。それこそ何十万人に一人の天才でしょう。とにかく頑張るしかないです。守りから反撃に転じるべきです。そしてその反撃開始の火ぶたを切るのは「今」です。
No.135 晴れさん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして、晴れです。3周年おめでとうございます。
「いじめ」について大変関心があります。関心暦18年という感じでしょうか・・・。
インターネットをはじめて2年目になりますが、ずっと検索してみたかった「いじめ」を今日初めて拝見させて頂いています。見る”勇気”がなかったのです。今でも入力していてドキドキしているぐらいです。検索結果を見て、こんなにも関連ページがあることに少し嬉しさを感じながら、1つ1つ見ています。
私は過去にいじめの経験があります。
この苦い経験は絶対に・・いえ一生心から消えないでしょう。そして一生分の涙を流したように思います。
トラウマとして自分の記憶が残っているんですよね。当時はこの様なネットというのは存在していませんでしたから私は誰にも相談することなく、毎日戦争場で戦っていた状態でした。そうです、「学校」に行くではなく、戦いに行くでした。
今生きていることを選択した当時の自分に感謝をしています。本当にいじめは死活問題なのです。あんなに小さい8歳~15歳の子供が死活問題を抱えて生きているなんて、とても悲しいことです。勉強が出来る有難さを感じる余裕などないのです。・・今今、今、死を考えている子供はいます。その気持ちを考えると涙が止まりません。
応援しています。そして、希望は持っています。
No.136 そらおさん、ご意見ありがとうございました。
いじめには、魔力があると思います。
いじめはだいたいが、1人対数人です。これがクラスの中ならどう考えても傍観者の方が多いです。けど、どうしてだろう彼らにたてつくことはできません。それは、ただ私に勇気がないからでしょうか。『いじめをなくす。』言うのは簡単です。でもいざいじめが起こるとやっぱり傍観者になってしまう自分がいます。私はもっと勇気を持てるようになりたい。
No.137 donさん、ご意見ありがとうございました。
どうも、はじめまして
書きやすそうなH.Pなので、僕もなんか書きたくなりました。
いじめではなかったけど、僕も、20年くらい前に登校拒否児でした。小学校3年の時です。
最初のきっかけは、体育倉庫で、みんなで上って遊んで上がろうとした時に「お前なんか、上げないよ」と言って、ひっぱたかれたのがきっかけです。小学校3年じゃそう、親にも叩かれたことなかったので、ショックでした。それから、3年、4年、5年と週に3、4日ぐらいしかいってませんでした。おかげで、親には怒られるは、ひっぱたかれるは、泣いてばかりでした。でも、いかないというか行けませんでした。その、叩いた人の顔が見たくなかったから。
学校の先生にもいろいろしてもらって迷惑かけたなと思います。クラスの人たちにも迎えにきてもらったりしてたけど、なんかだんだん、腫れ物に触るような雰囲気になってよけいに行きたくなくなりました。 学校を休んで部屋にいるといろいろ考えます。死んでしまおうか、と思った時もありました。子供というのは、やっぱり子供なので自分の命がどれくらい大事かなんて、わからないものです。他人の命もそうかもしれない。自分で飼ってた子犬が死んだり、身内が亡くなったりしないとどういうものか、わからないと思います。
小学校5年の時にクラスがかわって登校拒否を気にせずに遊んでくれる友人が何人かできて学校に少し行けるようになってきました。そのうちの2人は今でも付き合いがあるのでいい友人に巡り会えたのは良かったと思います。
6年のクラスの時はいろんなのが集まっていてクラスの中がもりあがっていて、僕なんか気にする人がいなくなった。そのころから登校拒否は治ってきました。
中学の時には完全に治ってました。中一の終り頃、小学校3年の時の先生が校門のところでみんなと話してて、僕も「先生」って言い寄って、心の中でだけど、ちゃんと学校来てるよって目でうったえた。わからなかっただろうけど。でも、先生も僕の名前を呼びながらうれしそうだった「ちゃんと来てるのね、」と言いたかったんだと思う。
中学に入ってからは、まじめにやってたけど、今度はまわりがすごくなってきていた。
ツッパリが流行ってきた頃です。はっきりいって、先生や親には、わからないことがたくさんおこってました。でも、いじめに関しては、いつまでも続ける人はいなかったからクラスでも問題になるのは、一時的なものでまだよかったと思います。
話が長くなりました。昔話を誰かに聞いてもらいたかかったのかなって気がします。今は元気で明るくやってます。
時代、時代で違うだろうけど、子供たちよ、頑張れ!今は我慢するしかなくても、生きてればいろんな人に会えると思うし、道が少しずつ開いていくと思う。
今、思うのは、小学校の時にあんまり学校行かなかったから、漢字が苦手だ
No.138 サトさん、ご意見ありがとうございました。
私は今までいじめについてちゃんと考えた事がありませんでした。なぜなら、私自身が死にたくなるようないじめを受けたことがないからです。
昨日初めて身近な友達のいじめを聞いて、ほんとに心臓が凍り付きそうなほどのショックを受けました。
その人は今がんばって生きています。でもまだ人工呼吸器をつけていて、やっと水が飲めるようになりました。
いじめを受けていたのは、夏休み同じバイトをしていた友達の彼氏です。(その彼氏も同じ所でバイトしていました)説明しにくいので、友達をMちゃん、その彼氏をY君とします。
昨日Mちゃんと遊んだときはまだその事を知らなくて、入院しているって言ったから、「どんな事故があったの?」って聞いても「D君(私とY君の共通の友達)から聞いて」って何で教えてくれないの?って思ったけど、今考えるとそんな辛い事Mちゃんから言えるわけないなと思いました。実際この話は、昨日遊んでMちゃんを送ったあと、帰りに一緒に居た女友達から聞きました。
夏休みの終わりころからMちゃんとY君は付き合いはじめて、Y君はときどき電話で呼び出され、Mちゃんとの約束をドタキャンする事が結構あって、Mちゃんは「もー、ドタキャンやだ」って悩んでいました。しかもY君はいつもお金がないって言っていました。
昨日帰りに聞いた話は、Y君は同じ中学だった人にパシリのようにされていて、しょっちゅう呼び出されてお金も渡していました。バイト代もその人に「今日給料入ったんだろ」って通帳からそのままおろして渡していたらしいです。その人の仲間からもいじめを受けていたらしいです。でもそのいじめをしていた人はY君とは関係ない事件で年少に入っていました。多分出てきたのだと思います。
先週Y君はその人を含め数人に○○県のある高校に呼び出されて行きました。
Y君はその学校の4階から落ちました。落とされたのか、自殺したのかはまだはっきり分かっていません。でもいじめをしていた人は自首したそうです。
Y君は危篤状態でした。この2日間で意識が戻らなかったら、もうダメでしょうとお医者さんに言われたそうです。
Y君の意識は戻りました。でも集中治療室です。しかも、顔から落ちたので、鼻とあごの骨が複雑骨折していて、治ったとしても、元の顔とは変わってしまっているかもしれないと言われました。
顔から落ちたとき腕で支えたのか、ひじの骨が突き出していたそうです。
これから6時間の手術も待っています。
事故に遭う数日前に、MちゃんにY君から電話がかかってきて、「死にたい死にたい」って言っていたけど、Mちゃんもそんなに深刻なことだと思ってなくて、ちゃんと聞いてあげればよかったって、すごく自分を責めています。
この話を聞いて、自分の無力さをすごく感じました。もし私がいじめられているという事をはやくに聞いていても、私には何も出来ないのです。
私だけではなく、先生にも、親にも、友達にも、誰にもどうにも出来ないような気がします。
たとえY君が学生だとしても、先生には言ってなかったと思う。先生にはなにも出来ない。
そのいじめが学校内の生徒からではなかったらどうするんですか?
たとえ学校内だとしても、先生はいじめていた生徒をしかり、その生徒は学校にはこなくなり、正直に話した生徒は学校外でもいじめられ、しかも更にエスカレートした、いじめになるとおもう。
いじめが終わるのは、いじめている人が気づくか、いじめられている方が死んだときではないかと思う。Y君が4階から落ちても生きていたのは奇跡に近いです。
いじめている人が気づくというのはなかなかないだろうし。
私達はY君をいじめていた人を憎いと思うけど、もしかしたらその人ももっと強い人からいじめを受けていたのかもしれない。
Y君はもういじめられることはないのでしょうか。
もしそれはないとしても、全国に似たようなことで「死にたい」と思っている人は何百人居るだろう・・・
TVでいじめを苦に自殺って見て『死ななくても良いじゃない。もったいない。』と思っていたけど、こんな身近に起こってほんとに真剣に考えると、死にたくなるという気持ちが分かる気がする。
私はY君のようないじめは耐えられない。きっと、私は誰にも相談せずにもっとはやくに自殺していたと思う。
私にみんなの『HELP信号』を感じとれ、助けれる力があれば良いのにとすごく思った。ほんとに無力だと思った。今でも私に出来ることは何もない。Mちゃんが辛いなら抱きしめてあげる事ぐらいしか出来ない。
でも、いじめについてここまで考えた事はなかったので、気づかせてもらったことをとても感謝しています。
あなたに何か出来ることはありますか?
私に何か出来ることはありましたか?
とても長くなってとても申し訳ないです。無理だとは思うけど、いじめがなくなる事を願ってます。
No.139 高橋伸征さん、ご意見ありがとうございました。
こんばんは。お初にお目にかかります。
あなたのホームページ(?)拝見させていただきました。
改めて『いじめ』について深く考えさせられました。と、同時に悔しくて悔しくて…。
何でこんな純粋な子供たちがいじめに遭わなければいけないんだ(?)というようなものばかりです。僕は『いじめ』に直接遭った事はないですが、クラスでちょっと浮いた存在でした。
もし今、高校生や中学生だったら、『いじめ』に遭ってたと思います。
ところで、うちの大学のサークルで、大学祭で、『いじめ』について取り上げる事になりました。
展示形式でやろうと思うのですが、やはり、写真などがあったほうがいいと思いますし、けれどそのような写真などはなかなかみつけられなかったのです。
BBSでの、生の声とかはあるのですが。
そこで相談なのですが、資料とかパネルとか、もしそういうのがあるのなら、どこから入手すればよいのでしょうか、もしくは借りられるものでもいいのですが、よく分からないので、もしご存知でしたら、紹介してもらえないでしょうか。
勝手なお願いかもしれませんが、どうかよろしくお願いします。
No.140 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。京都大学○○○○所属、法学部○回生の○○○と申します。
私のサークル内の人間関係パート活動で、今度いじめ問題について議論しようと思いまして、つきましては、このHPの「各種諸機関より」の部分を資料として引用させていただきたくお願い申し上げます。
実は私自身、いじめの当事者(被害者、加害者双方とも)になったことがあり、被害にあったことばかりでなく、加害者となったことも心に深い傷として残っています。当時は軽い気持ちでやってしまったのですが、今思うと非常に悪いことをしたと後悔の念がこみあげてきます。いじめという行為は被害者はもちろん、加害者をも傷つけてしまう行為であり、それをなくすためにはこのHPのような呼びかけは非常に大切なものであると思います。これからもがんばって、少しでも私のような後悔をする子供が少なくなるようにしてください。
よろしくお願いします。
No.141 Heizerさん、ご意見ありがとうございました。
拝啓、毎度BBSでお世話になっております
毎日、のように、少数の方とではありますが、議論にいそしみ、このような場所を提供して頂き、感謝しております。
久々にHPの方を振り返り、覗いていたところ,一点、重要な部分の認識がBBSメンバーと異なっている事に気が付いたので,メールします。
HP上の接するには のページ、No6、それぞれの立場を理解するという点のいじめられている者の項目に(意志が弱い)とありますが、BBSで一致を見た意見では、いじめられる者の特徴として、「納得できなければ他人の意見に同意しない」要するに、意志が強いという方向になって来ました.
逆に、むかつく等の感情をコントロールできない「いじめる者」見て見ぬふりをする傍観者(いじめが悪いとわかりつつ)の方が意志が弱いのではないでしょうか
BBSメンバーはそれぞれいじめられた過去を、今になって客観的に語っておりますので,その分析は的を得たものと思います。
この部分で間違った認識を持たれてしまうと、いじめられた者がいじめに回るような事がありえる部分なので、BBSのログと比較、考慮していただきたいと思います。
問題が問題なので、なかなか具体的な良策は出てきませんが、それなりにBBS内でも色々な進展があります。
No.142 sumireさん、ご意見ありがとうございました。
初めまして。sumireです。自分に強くなり,今自分が暮らしている環境に慣れていく事が,まず自分の意見主張でき,いじめをしている側に自分の思っている事を伝えられます。きっと,いじめにあっている子は,なかなか思ってる事を言えないんじゃないかな?人と人は,絶対に心がある限り通じ合えると思う。君はどう思う?自分の意見を伝えてみたら,きっと,いじめる側の考えも変わるだろうし,今の状態も変わっていって君の考え方も変わると思う。
だから,まずは勇気を出して思ってる事を伝えてみよう。恐い気持ちを,ふりはらって!!
私と君は今から友達だよ。いつも見守ってるよ!
No.143 さとみさん、ご意見ありがとうございました。
こんばんわ。初めまして!
今回は私の過去の経験談を聞いて頂こうと思い、メールをかきました。
私は今ね24才になりますが、小学校、中学校といじめにあってきました。
特にひどかったのが中学時代でした。
まず、一年生になったばかりの頃、小学校からちょくちょくとちょっかいをだされていた男子一人と同じクラスになってから地獄が始まりました。
何に関しても私がいる存在じたいが気に入らず、口を開けば「でぶ・気持ちが悪い・死ね」最初は口だけでしたが、日に日にエスカレートしてきて、木刀が折れる程なぐられたり、教科書は全て燃やされ、「私のどこがいけないの?悪い所があったら直すから」と言っても「死んでくれば許してやる」の一言でした。今でもあの頃の事が夢にでてきます。
でも、今思えば、つらい経験はしたけど人生において勉強になった気がします。つらい経験を送ったこそ、人の痛みが分かってくるのかなと・・。
過去はもう、消すことはできないので、今からを大切に幸せに生きること私一人では全然力がないけど、私と同じ経験者がこの世の中ではいっぱいいます。よく、「私の気持ちなんて誰も分かってくれない」と言う子はいますが、それは絶対ない事。見えないだけで応援している人はたくさんいると思います。
いじめにあっている人達。肩の力わ抜いてほしいです。これからたくさん幸せが待っている事に気づいてくたさい。ちょっと違う所に目をむければただの晴でも「なんて、いい日なたろう」と心まて晴れますよ!!頑張れ!!
No.144 堕天使さん、ご意見ありがとうございました。
1回、送ったつもりだったのですが、着いてないのか、検討されてるのか、ちょっと、差し替えますので、こちらで検討して下さい。尚、問題があると判断された文言は、勝手に削除して頂いて結構です。
BBSでも如実に現れ、私が憂き目に合ったように、人間というのは、元来、排他的な生き物です。それは、日本人論の中で主張される如く、日本人に限った事では決してないです。価値観の多様化と言ったところで、歴史を見れば、宗教戦争、民族紛争と、限りなく、人間の心は狭く、人間というのは、異なる価値を主張する他人を殺して来た生き物です。同種の中で、種の保存本能に逆らい、こんなバカげた事で、殺し合うような残酷な生き物は、他にいないのではないでしょうか?!
そして、最も、人間の残酷さが如何なく発揮される場面が、戦争の中でも、宗教戦争であります。共に、正当性という名の下、限りなく、残酷になる。人間というのは、自分を正当化せずには生きて行かれない生き物で、その正当化の為には、他人を死に至らしめても平気なのです。例えば、相手が間違っていると思う余り、その相手には、何を言っても、何をしてもいいと考える、判りきった権力的正義を振り回すしか能のない、低俗なイジメ論者も同じ事です。
イジメという人権侵害行為の中でも、イジメがエスカレートし、被害者の子供が死に至るような残酷なイジメ発生の裏には、ちょっと残酷な言い方かも知れませんが、必ず、加害者の側にも1点の正当性を認める要素が存在しているように思います。相手を殺してでも認められる正当性、と言えば、ヒューマニストの方は、びっくりされる事と思いますが、歴史を見て、宗教戦争という、正義と正義の対立の構図の中での人間の残虐性を思い浮かべて頂ければ、当たり前の事です。被害者の子供が死に至った後は、当然、声は小さいですが、こういう残酷な事件の背景には、大抵、「イジメられる方にも問題がある」という、残虐な加害者を擁護する声があります。そして、逆に言えば、被害者が死に至る前まで、そういう声があったからこそ、そのイジメを支持する暗黙の空気が流れていたからこそ、加害者の子供も、そこまで残酷になれたと考えられる訳です。イジメの発生原因を、性格異常の加害者だけに限定したり、善良で気が弱い被害者だけに限定するのは、間違っています。傍観者悪というのは、近代の個人責任の原則ににも、それに基づく近代法にも、ある意味で反する事ですが、そもそも、イジメという、近代が生んだヒューマニズムを否定する現象に於いては、もう、絶対的なものです。そのイジメを支持する傍観者がいない限り、イジメは発生しません。
イジメ撲滅へのアプローチの仕方としては、家庭や学校による道徳教育による、1人1人の子供の道徳レへルの向上と同時に、道徳まで行かない、動物としての種の保存本能にさえ抗う程の人間の残酷さへのダイレクトなアプローチも不可欠だと思います。むしろ、その方が重要な気がします。何故なら、人の嫌がる事をしない、などという、5歳の子供でも分かる低次元の道徳が守られないのがイジメだから。大人の社会でも、警察という正当な暴力装置なくして、人権は守れない。警察機能なしに、子供社会で、人権を守る事は不可能です。教師が聖職者であった昔の学校の最大の利点は、教師がツー・ウェイ、スリー・ウェイ方式で、子供社会に於いて、警察機能及び
司法機能を併せ持つ事ができた点にあります。具体的な対策は、未だ思案中ですが、制度改革しかないように思います。
イジメについて語る人がよく使い、このHPのアンケートでも使われてるし、イジメという人権侵害がなくなるかどうか?! というのは、そもそも問題提起の仕方が間違っていると思います。何で、なくなるか?なくならないか?と2つの結論だけに収束させる必要があるのか、私は、不思議です。我々は、過去の歴史を振り返っても、近代に至り、人権思想を生み出した事を1つの節目として、ずっと、より多くの人が幸せになる道を進んで来ています。イジメに関しても同じです。ヒューマニズムという幻想に基づかない、現実的な人間観を持ったとして、最後の1コまでなくなるか?!なんて考える必要のない事です。無差別殺人を行う戦争さえ、人類は地上から消滅されられないんだから、イジメが最後の1コまでなくならないのは当たり前の事です。
我々が目指すべき方策は、この歴史の流れに従い、より多くの人が幸せになる道であり、より多くのイジメをなくす道でいいのです。戦争だって反戦運動で、昔よりずっと減ったように、イジメだって、イジメ撲滅運動で減るのです。「根絶」運動は、より活発な「撲滅」運動という意識でいいと思います。
No.145 堕天使&Heizerさん、ご意見ありがとうございました。
文書作成のプロにも依頼し、内容が分かり易いように、再度、修正致しましたので、是非、ご掲載下さい。また、問題ある表現は、そちらで削除して頂いて結構です。
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【イジメ発生の原因~被害者・加害者の個別的要因だけを見ない】
イジメという人権侵害行為の中でも、イジメがエスカレートし、被害者の子供が死に至るような残酷なものが、BBSでもしばしば取り上げられています。
このような残酷なイジメの発生を、加害者が悪いと、一刀両断に切り捨てるのは簡単ですが、発生の裏には、必ず、加害者の側にも、独善的で手前勝手な正当性を主張可能な要素が存在しているように思います。
相手を殺してでも認められる程の正当性、と言えば、びっくりされる事と思いますが、歴史の中から、宗教戦争という、正義と正義が対立する構図の中で、人間がいかに残虐になれるか、という例が参考になります。
現実の子供社会に於ける例を挙げると、典型的なのが、被害者が、金持ちの子息であったり、優等生であったりして、人(加害者)を見下している妄想に取り付かれているケース。或いは、昔は人をイジメていた者への、復讐的ケースです。
ある研究者もレポートで指摘していましたが、被害者の子供が死に至った後にも、(当然、声は小さいですが、)事件の背景に「イジメられる方にも問題がある」という、他の子供を死に至らしめたような残虐イジメ加害者を擁護する声があります。
逆に言えば、被害者が死に至る直前まで、そういう声があったからこそ、そのイジメを支持する暗黙の空気が流れていたからこそ、加害者の子供も、そこまで残酷になれたと考えられる訳です。
イジメの発生原因を、残酷な性格異常の加害者だけに限定したり、協調性がなく他罰型の被害者だけに限定するのは、間違っています。傍観者悪というのは、近代の個人責任の原則にも、それに基づく近代法にも、反する事ですが、イジメという現象に於いては、絶対的なものです。
イジメを支持する傍観者がいない限り、イジメは発生しません。近代法とは逆行する意見ですが、イジメという現象に於いて、傍観者は、心理的には、全く、加害者と同罪なのです。
人間というのは、元来、排他的な生き物です。それは、日本人論の中で、よく「村八分」なんて主張される如く、日本人に限った事ではないです。
価値観の多様化と言ったところで、宗教戦争、民族紛争と、限りなく、人間の心は狭く、異なる価値を主張する他人を殺して来た事を歴史に刻んでいます。同種の中で、種の保存本能に逆らい、こんなバカげた事で、殺し合うような残酷な生き物は、他にいないのではないでしょうか?!
そして、最も、人間の残酷さが如何なく発揮される場面が、戦争の中でも、宗教戦争であります。共に、正当性という名の下、限りなく、残酷になる。人間というのは、自分を正当化せずには生きて行かれない生き物で、その正当化の為には、「相手が悪い」と考え、他人を死に至らしめてきた史実があります。
イジメの発生原因を、加害者、或いは、被害者個人の性格的問題だけに限定するのは、間違っているのではないでしょうか?!
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【僕滅へのアプローチの仕方~1人の子供の生死に関わるものに限定】
イジメ撲滅へのアプローチの仕方としては、家庭や学校による道徳教育による、1人1人の子供の道徳レへルの向上と同時に、道徳まで行かない、動物としての種の保存本能にさえ抗う程の人間の残酷さへのダイレクトなアプローチも不可欠だと思います。むしろ、その方が重要な気がします。
何故なら、人の嫌がる事をしない、などという、5歳の子供でも分かる低次元の道徳が守られないのがイジメだから。
大人の社会でも、警察という正当な暴力装置なくして、人権は守れない。暴力に対して非暴力主義だ対峙したガンジー思想は偉大ですが、現実は、どんな国家も採用していません。どんな国家でも、体制的暴力装置としての警察を装備しています。体制的暴力装置の弱体化は、即、不届きな反体制的暴力が繁茂する状況を作り出すからです。
警察機能なしに、子供社会で、人権を守る事は不可能です。
暴力に対しては、法や公権力による救済を求め得る
といのは、国家権力の存立意義であり、当然の市民的対処なのに、子供に限って認めないのは、おかしな事です。
教師が聖職者であった昔の学校が持つ最大の利点は、教師がツー・ウェイ、スリー・ウェイ方式で、子供社会に於いて、警察機能及び司法機能を併せ持つ事ができた点にあります。
戦後民主教育の下、教師の聖職者神話を崩壊させた今、全世界のイジメ撲滅という理想論はさておき、最低限、子供が死に至るような暴力的な残虐なイジメを阻止するには、学校に断固たる警察機能を導入する為の、法制度も含めた学校制度改革しかないように思います。
実際、県教委は不快感を示したそうですが、学校を飛ばして、直接、警察に訴える事で、阻止できた残酷なイジメの例も報告されています。
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【イジメは無くなるか】
イジメについて語る人がよく使い、このHPのアンケートでも使われてる、イジメという人権侵害がなくなるかどうか?!というのは、問題設定の仕方に疑問を感じます。
なくなるか?なくならないか?と、2者択一してしまえば、無くならないという答えになるでしょう。
我々は、人権思想を生み出した近代の幕開けを、1つの節目として、ずっと、より多くの人が幸せになる道を進んで来ています。
イジメに関しても同じです。最後の1コまでなくなるか?! なんて考える必要のない事です。誰もが否定し、無差別殺人を行う戦争さえ、人類は地上から消滅されられないのだから。イジメが最後の1コまでなくならないのは当たり前の事です。
もし、この道徳国家 日本で可能になっても、世界レベルで見れば、無理な事でしょう。我々が目指すべき方策は、より多くの人が幸せになる道であり、より多くのイジメをなくす道でいいのです。
戦争だって反戦運動で、昔よりずっと減った。同様に、イジメだって、イジメ撲滅運動で減るのです。「根絶」運動は、より活発な「撲滅」運動という意識でいいと思います。
No.146 きりんさん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。私は愛媛県・・市のいじめを受けている娘を持つ母親です。
私は先生不信に陥っています。
それは、娘がいじめを受けているので連絡を取り合っていた時、どうして子供たちはいじめについて反省できないのか聞いたところ、「いじめたほうも、私も仲間割れの範囲だと思っている。」と言われたのです。
そう言いながら「これは、いじめです。」と言う言葉も出てきたりもしましたが,私には理解できない、と言うよりも腹立たしさを感じました。
その日の夜、もう一度先生に電話をすると、「昼間は大変失礼な事を言ってしまい申し訳ありませんでした。数人に聞き取り調査したところいじめがあったようです。」と言われました。
どうしてもっと早く聞き取り調査をしなかったのか。そして、仲間割れの範囲だと言ったのか。信じられません。
私はこの前の土曜日にいじめをした子に電話をしました。先生にそのことも報告したのですが「私は教師で今までいろんな生徒をみてきました。私に任せておいて下さいとお願いしたと思うのですが、私に任せて頂けませんか?」と、言われました。勿論、先生にお任せしなければならないのはわかっているつもりです。でも、先生は忘れたかも知れませんが、仲間割れだと言われた事や、登校拒否があまり続くと上に報告しないといけないから・・・。と言った事が忘れられないのです。どういったつもりで言ったのかはわかりませんが、深く傷つきましたし不信感も募りました。
私が言っている事や思っている事は間違っていますか?これが正しいとか、間違っているとかっていうのもおかしいかも知れませんが、ご意見を聞かせて頂ければと思います。
No.147 山野由利さん、ご意見ありがとうございました。
私は今年二十歳になったOLです。今彼氏が長崎のほうで寮のある大学にいるのですが、どうもその寮内でいじめにあっているみたいなのです。
彼はもともと京都の人で大学の人達から見ればちょっと浮いた存在みたいなところがあるそうです。そのせいかわかりませんが、すれ違い様に小声で耳元に”いつか死ぬぞ”みたいなことをささやいてくるそうです。それだけじゃなく他にもそんなにたいしたことではないのですが、細かなことをいろいろとしてくるそうです。そんな状態が1年近く続きおかげで彼は精神的に疲れてきているみたいなんです。夜あまり寝つけなかったり、学校に出るのが億劫になったり・・このままでは彼がうつ病になってしまうのではと心配です。
学校の先生にも話してみたそうなんですけど、あまり深刻にはとってくれず「子どもっぽいことするなぁ。」とか「だからといって彼らを退学させるわけにはいかんからなぁ」と返されたと言っていました。
私は京都、彼は長崎で相談に乗るくらいしか出来ず他に何か出来ることはないかと考えているのですが、良い方法が浮かびません。一体どうすれば彼の精神的な支えになることが出来るのでしょうか・・どうかどなたかどんな方法でもかまわないので教えてください。お願いします。
No.148 学生さん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。私は20歳の大学生です。
現在いじめや幼児虐待、それに伴うトラウマについて研究したいと思っているので、このページにアクセスしてみました。
本当に様々な意見があって、考えさせられました。私自身、保育園、小学校、中学校でいじめられた経験があります。また、いじめたこともあります。保育園では虐待を受けたりもしました。それは、今の私に大きく影響していると思います。さらに、中学時代の男友達6人が、私の友達を集団レイプしたことなども原因だと思います。今でも私は、人を心から信用することができません。だから、男の人と付き合うこともできないのです。男友達はたくさんいますが、それ以上の関係は耐えられないです。そんなこともあって、トラウマの克服などを研究したいと思ったのです。
いじめを受けると、自分に自信がなくなり、必要以上に人の目を気にするようになると思います。それも人それぞれかもしれませんが・・・。
結局、いじめられる辛さはいじめられた人にしか分からないのかもしれません。差別の辛さが差別を受けた人にしか分からないのと同じように・・・。だから難しい問題なのでしょうね。これから、様々な視点で研究を進めていきたいと思います。また、このページにおじゃまするかもしれません。それでは失礼します。
No.149 かつさん、ご意見ありがとうございました。
このたび自分は卒論のテーマを「いじめ」にして書きました。
その際このページを多く参考にさせていただきました。無事、単位もらえそうです。ありがとうございます。
No.150 みみさん、ご意見ありがとうございました。
私は、いじめにもあい又、いじめたこともあります。
中学の1年の頃女の先輩の好きな人が私を好きだった事からいじめに会う事に・・・。
そんなささいなことでいじめになるのです。
やっぱり強い物には逆らえない人たちは先輩にあいつとは口聞くな!と言われほとんど学年中が私を無視しつずけた。上靴は捨てられるし、自転車はぼろぼろにされるし、悪戯電話にウソの妊娠さわぎ!1年ほど続きました。
涙の毎日でしたが親には言えず我慢して学校に行ってました。時業中も涙が止まらず机にふせて泣いてても先生は何もいいませんでした。そんな時昔で言う不良の男の先輩がそのもととなった女の先輩に一言いってくれたことがきっかけでいじめはおさまりましたがそっちの仲間との、つきあいが始まりました。
今までのたまったもの、それが親への反抗に変わってきて制服も変え(当時は長いスカート)外見から変えていきました。すると、今まで私をいじめてた子達はころっと態度を変え復しゅうのように私はいじめ返しました。不思議な事に楽しくなってきました。
何も悪くもない子でも何か因縁をつけては呼び出し殴るけるそんな事を楽しんでたんです。
同じように先生にも呼び出され(もちろん親にも)頭にはたんこぶ5個、口からは血が出るほど殴られた事もあります。学校に行かなければ探しに来るし(ほとんど学校行ってません)そのときはほっといてよ!と、思いましたが3年の時の熱心な先生や親がいたからこそ今の私がいると思います。そしていじめられてたとき頑張って学校に行ってた事もよかったかな。体罰と騒ぐ世の中ですがそんぐらいで騒ぐ親の気が知れません。その子を思う本気!の気持ちでどんどんやってと思います。愛のムチというやつですか。いじめはきっとなくならないと思う!先生も気がつかないと思う。生徒全体がぐるだと思う。みてみぬふり。私のように見てすぐわかる悪い子はわかりやすいけど普通のこがいじめやってるときっと分からないだろうな・・・。うちの子の学校も子供がだれだれがどうした~と
先生に言っても結局「人の悪い所ばかりみないでいい所みなさい!」と(それもわかる)流されてしまう。でも、やられたこの気持ちはどうだろう?そんな簡単な言葉でかたずけられないんじゃないだろうか?ホントにこの問題は難しいですね!
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